全日本漢詩連盟は、全国の漢詩愛好家を糾合し、
「日本における漢詩の研究・普及ならびに交流を図ること」及び、
「広く中国・アジア・欧米各国の同好者との親睦交流を図ること」を目的として
平成15年3月21日に結成され、令和5年に設立20周年を迎えました。



20周年を迎えて 鷲野正明新会長挨拶

10周年の石川忠久前会長挨拶

設立趣意書



















全日本漢詩連盟結成に関する趣意書

   石川忠久会長(平成15年3月21日設立)

 古来、日本人は、世界最高の詩歌である中国の詩(漢詩)に親しみ、その精華を吸収して、幾多の文芸作品を生み出す一方、自らも作詩するに至り、漢詩壇が形成されて、歴代優れた漢詩人を輩出してきました。わが国の文化は漢詩抜きでは語ることが出来ないと言っても過言ではありません。
 然るに、近年漢詩壇の衰退は著しく、特にここ数年来、漢文教育が軽視されるに到り、今やわが国の漢詩作詩の土壌は危機に瀕しているといわざるを得ない状況にあります。

 ただ、一方において、漢詩に対する興味や関心は、なお根強いものがあるようです。「唐詩選」などの漢詩に関する書は多くの読者を擁し、ラジオやテレビなどのメディアを通じて、若い人の間にも相当数の愛好者がいるのも事実であります。
 このような中で、国民文化祭の漢詩部門では、香川県、群馬県、また福島県での大会において、漢詩を公募したところ、毎回1000首を超える応募があり、漢詩を作ろうとする機運が全国的に高まりつつあるように思われます。

 そこで、日本古来の優れた精神文化を取り戻すためにも、この際、漢詩の実作者および愛好者を糾合し、「全日本漢詩連盟」を結成したいと念願するものであります。なにとぞこの趣旨にご賛同くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。






連盟設立時の記念写真(湯島聖堂)



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全日本漢詩連盟の新しい流れに沿って

   全日本漢詩連盟会長 石川忠久


 全日本漢詩連盟は今年設立10周年を迎えた。
 漢詩愛好家の底辺を拡大し、会員を一人でも増やしたいという連盟設立時からの悲願は、一時の低迷期を脱しここに来てようやく新しい流れができつつあるように感じている。この3月に開催された設立10周年記念大会の盛り上がり、若い人達の漢詩大会への参加、相次ぐ地区漢詩連盟の結成等、いよいよ次の段階へ進む時が近づいているように思う。

 この新しい流れを更に加速、拡大していく為に、以前に述べた「時間と場所を越えて漢詩愛好家の皆さんと結びついていく」の気持ちを忘れること無く、10周年記念大会の賀詩に示したように「常馳猛志競新詩」の実現に向けてこのたびホームページを更新することにした。

 新しいホームページでは、地区漢詩連盟と今まで以上の連携を図りながら、全国の漢詩愛好家の皆さんに最新の情報をお届けしていくつもりである。
 又、皆さんからのご意見、ご希望を前向きに受け入れ、それをベースにした斬新な企画を立案・提供して猪突猛進の気概でそれを実践していく決意を新たにしている所である。

 特に若い漢詩愛好家の方々は、新ホームページを通じて新しい建設的なご意見を提案していただき、将来の漢詩連盟を担っていただきたいと切に願っている。






設立10周年の記念写真(二松学舎大学)


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全日本漢詩連盟20周年

   全日本漢詩連盟会長 鷲野正明


 全日本漢詩連盟が設立されて20年、漢詩の魅力を発信し、会員の皆様とともに作詩を楽しんできました。年1回漢詩大会を開催し、各大会での受賞作を収載した詩集や『扶桑風韻』、会報など発行し、書架に詩果が並ぶようになりました。嬉しい限りです。

 令和4年9月から会長が替わり、令和5年4月から新体制で本連盟が新たにスタートします。
 この20年間は創業と守勢を兼ねていましたので、これからが連盟の真価が問われる新たな出発となります。会員の皆様とよりいっそうの発展充実を目指したいと思います。

 いま漢詩を作っている人は、学生の頃授業で漢詩漢文を学んだことのある人たちです。年をとって生活に余裕ができて昔習った漢詩を作ってみようと始めた人たちがほとんどです。
 今日、高校で独立して「漢文」の授業を設けているところは少なく、漢詩漢文に触れる機会は日常生活では全くと言ってよいほどありません。大学でも、漢詩漢文を専門で学ぶ学科や専攻はなくなり、漢詩を作る教員もおらず、また中高の教員養成もできない状態です。いずれ漢詩創作の伝統が途絶えてしまうのは目に見えています。

 今日では文芸全体が振わず、そのなかでも漢詩漢文は「敵視」されるほどになっています。「漢文」の授業など廃止しろ、などという意見もあるくらいです。そのような状態でこの連盟はどうあるべきか、大きな問題です。

「なぜ日本人は漢詩を作らなくなったのか、なぜ、今の日本人も漢詩を詠むべきなのか」とよく質問されますが、多くの人は漢詩に触れる機会もなく、たとえ触れる機会があっても、読んでも分からない、といいます。ですから、漢詩を作るまでには至りません。大学の授業で作詩を指導しても、大学を卒業すると漢詩からは離れてしまいます。漢詩を作る暇も余裕もなく、ただ生活に追われるだけです。
 一方で自己表現は多様化して漢詩は若者の表現媒体ではなくなっています。

 漢詩は王朝以来の文化・文学の中心にあって、風雅を詠う詩として継承されてきました。たとえ漢詩を作らなくても、訓読の美しいリズムに触れれば心躍り、詩心がわいてきます。この漢詩に触れる初めが大切です。

 連盟としては、漢詩の面白さをこれまで以上に発信し、さらに各地方で、埋れている漢詩人を発掘し、各地方で、独自の漢詩コンクールを開催してもらい、より一層漢詩への興味を掻き立て、全体の活性化を図りたいと思っています。日本人は漢詩を作るべきだ、などと言いません。好みは人それぞれです。が、詩のある生活によって人生がいかに潤うか、それを知っている私たちが範を示す必要があります。

 詩を作るのは何かに感動しそれを文字にしてみたいと思うことから始まります。俳句でも短歌でも、自由詩でもいいわけです。その一つの選択肢として漢詩があります。自分を表現するなら何でもいいのですが、漢詩を選んだ以上は、努力しないといけません。

 詩では「ことば」が大事になります。漢詩の基本は漢語を使うことになっていますが、「ことば」は時代によって変化し、国によっても意味合いが違ってきます。それを中国古典詩で使われている漢語だけで表現するのは、土台無理なことです。現状に合う「ことば」を詩的に使う工夫をするべきで、それを認める柔軟さが必要です。
 一方、現状に合うようにというなら、例えば高校生が酒を傾けて愁いを消すとか、杖をついて散歩するなどという、漢詩の常套的な世界を詠うことはむしろ避けるべきです。語句の使い方では、漢詩の学びの度合いによって、先人の句を使うのもいい、としなければ若い人に続けてもらえません。これはダメ、あれもダメ、ではなく、これでいいよ、と指導する必要があるでしょう。間違った使い方をしたら、こういう表現があるよ、こうしたらもっと良くなると、と修正案を提示できる指導者も必要です。

 感動を的確に表現するには、「ことば」を効果的にかつ有機的に用い、全体を構成しないといけません。これはすぐにできるわけではありません。胸が苦しくなるほどの地道な努力が必要です。その努力を支えていくのが、この連盟の大切な使命だと考えています。詩を作りたいという人を丁寧に指導し、みんなで作詩を楽しむことが大切です。楽しみながら上達する場が連盟であってほしいと思います。

 今私たちができることは、しっかり伝統を受け継ぎ、より多くの人に感動を与えられる詩を作り続け、楽しむことです。漢詩が作れるなどと驕らず、風流を愛して偏屈にならず、人に感動を与える良質の詩を作り、発信し、自然に門をたたく人が出てくるようにしないといけないと思います。
 もし作詩の伝統が途絶えたら、それは今の私たちが人を感動させる詩を作れなかったということです。それは誰のせいでもありません。今を生きている私たちの責任です。


令和5年2月4日

  賀全日本漢詩連盟設立二十周年    全日本漢詩連盟設立二十周年を賀す
 共養詩心二十春  共に詩心(ししん)を養ふて二十春
 抒情練句保天眞  情を抒(の)べ句を練りて天真(てんしん)を保つ
 會須得意常銘佩  会(かなら)ず須(すべか)らく意を得なば常に銘(めい)佩(はい)すべし
 風雅相傳逾斬新  風雅相(あい)伝(つた)へて逾(いよいよ)斬新ならんと













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