(2006年10月01日)

〈同塵舎詩話A〉

起承転結論(2)
起句と承句の繋がりが大切

全漢詩連常務理事  窪寺 貫道

起句の顔を立てる

 前号で日本唱歌の歌詞でも起・承・転・結が良く分る例を挙げ、作詩に当っての参考にして欲しいと述べたが、今回は筆者の教室での受講者の実作の中から、特に起句と承句の繋がりに欠けている例を示すことにする。この文を読む前に、起句と承句は一つのセットであると前号で書いたのを思い出して欲しい。

 又、実例を示しながら、全体の添削の過程も少し述べてみたい。

原作 古刹荷池     S氏
樹蔭清池紅白蓮 樹蔭の清池 紅白の蓮
薫風吹度法堂筵 薫風吹き度る 法堂の筵
観庭一啜錦?客 庭を観て一啜す 錦?の客
古刹鐘聲詩興牽 古刹の鐘声 詩興牽く

 題は「古いお寺の蓮の池」を詠うということである。起句は「樹の陰の清らかな池に赤や白の蓮が咲いている」という情景を先ず描いた。承句は「おだやかな初夏の風がお寺の法堂の座席に吹いてくる」となっているが、これでは起句の「清池紅白蓮」が承句に何の役にも立っていない。起句と承句が各々別のことを言っていることになり、この両句が本来の提携して一つセットになる役割をはたしていないのである。

 其処で、承句の上の四字を「芳芬風送」と直した。つまり、「芳芬」よい香りを風が「法堂筵」まで運んで来たとしたのである。この「芳芬」は蓮の香りに他ならない。

 こう直すことにより、起句の「紅白蓮」の顔を立てたわけである。重ねて言えば、起句と承句を一つのセットとして、お寺の清浄な情景や雰囲気を表わして舞台装置を作った。特に、起句の「清」と承句の「芳芬」を組合せて、その清景を強調する役割が果たされた。

 さて、起句と承句で一応の舞台装置が整ったので、次の転句と結句に若干の手直しをした。

 転句は「観庭一啜錦?客」となっている。これは、「庭を眺めて、ひと啜りし、作った詩を入れる袋を持った客」ということだが、何を「一啜」したか分からなし、起句と承句で既に庭を眺めていることが分っているから「観庭」は蛇足である。その為、「観庭」に代えて「煎茶」(茶を煎る)にした。茶はお寺に相応しい飲物である上、「一啜」と繋がる。

仲良くセットにする

 次に結句の「古刹鐘聲詩興牽」は平凡なので、「古刹」「千載」に直した。題が「古刹荷池」であるから、詩の中にわざわざ「古刹」を入れるのはつまらない。28字という少ない字しか使えないのであるから、分かりきった語を入れるのは勿体ない。「千載」とすれば「千載鐘聲」で、「千年もの間、鳴らし続けた鐘の音」となるから、この古刹は千年も昔から続いている古いお寺で、その鐘の音色を聴けば自ら深い感慨が湧いて、詩を作ろうという気になり、従って「詩興牽」は尤もなことだと、納得出来よう。

 以上の添削を整理すると次のようになる。

     古刹荷池     古刹荷池
樹蔭清池紅白蓮 樹蔭の清池 紅白の蓮
芳芬風送法堂筵 芳芬風は送る 法堂の筵
煎茶一啜錦? 客 煎茶 一啜す 錦? の客
千載鐘聲詩興牽 千載の鐘声 詩興牽く

 もう一首見ることにしよう。

原作 苦熱     I氏
階竹庭松聞乱蝉 階竹庭松 乱蝉を聴く
驕陽灼鑠火雲天 驕陽 灼鑠 火雲の天
甑中如墮人間熱 甑中 堕ちるが如し 人間[じんかん]の熱
尽日苦吟詩一篇 尽日 苦吟す 詩一篇

 この詩の起句は「きざはしの辺りの竹や庭の松にがうるさく鳴き乱れている」とある。承句は「威をふるう夏のはげしい太陽が光りかがやいて天には火が燃えているかのような夏の雲がある」であるから、この両句は「蝉」「火雲天」「君は君」「俺は俺」と互いに外方(そっぽ)を向いていて、両者の繋りが欠けている。

 其処で、どうすれば互に仲良くセットに出来るだろうか。起句は「聞乱蝉」として作者が顔を覗かせているが、結句にたっぷり作者が出てくるから、此処ではお引取り願って蝉の声だけにした。つまり、この三字を「群譟蝉」とした。次に、承句は脚韻を含む「火雲天」の三字はその侭として、うるさい「蝉」と熱い「天」を結びつけることを考える。すると、先ず上の四字の「驕陽灼鑠」「火雲天」は重複していることに気が付く。即ち、両方とも「天が熱いよ」と言っているからで、この四字を削り「朝来声入」に改めた。

 このようにすれば、「朝からずっと鳴き続けている声(起句のの声)が燃えるような雲のある天に入っていく」となって、起句と承句が繋がるのである。尚、この「朝来」は後述の結句の「尽日」を削った伏線にもなっている。

 さて、転句はどうか。前二句で自然界の暑さを詠じた舞台装置を示しておき、「甑[こしき]の中に堕ちているような人間世界の熱」は想定の世界である。

 斯る想定の世界を使い次の結句の仲介をするのが転句の一つの役割であるが、この転句は原作の侭で良い。

時間の移ろいを示す

 最後に結句はどうか。上四字の「尽日苦吟」「朝から晩まで一日中苦しんで詩を作っている」ことになるが、苦吟の様子を詠ずるには此れでも良いが、些か漠然としている。其処で上の二字を「拭汗」と改め、苦吟の有様をより具体的に詠じ、作者の姿を彷彿とさせた。同時に「尽日」という時間の推移が消えてしまった不満が残るかもしれないので、これは前述の通り承句で「朝来」という時間の移ろいを示す語でもって、直接的ではないが伏線として、其の不満を取除いた。

 最後にこれらの添削の結果を整理すると次のようになる。

     苦熱        苦熱
階竹庭松喧譟蝉 階竹庭松 喧譟の蝉
朝来声入火雲天 朝来 声は入る火雲の天
甑中如墮人間熱 甑中 堕ちるが如し 人間[じんかん]の熱
拭汗苦吟詩一篇 汗を拭い苦吟す 詩一篇