(2007年08月15日)

〈同塵舎詩話D〉

詩の異動に就いて

全漢詩連常務理事  窪寺 貫道

 今年の10月7日に行われる、第23回国民文化祭・いばらき2008プレイベントの漢詩大会の募集要領に次の詩が掲載されている。作者は、水戸藩主徳川斉昭公である。

   弘道館賞梅花    弘道館に梅花を賞す 
弘道館中千樹梅 弘道館中 千樹の梅
清香馥郁十分開 清香馥郁として十分に開く
好文豈謂無威武 好文 豈に威武無しと謂わんや
雪裏占春天下魁 雪裏 春を占む 天下の魁[さきがけ]

 この詩の意味は次の通りである。

 弘道館(斉昭公が創[つく]った水戸の藩校)には、千本もの梅の木が植えられ、馥郁として清らかな香を放ち、花は満開である。梅の異名である好文は昔、晋の武帝が学問に親しめば花は開き、学を廃すれば開かなかったという故事があるが、此のような梅に儼[いかめ]しい威光や猛々[たけだけ]しい力が全く無いと言えようか。そのようなことは言えない証拠に、雪の降った酷[きび]しい寒さの中で、百花に先駆けて春を独り占めしている凛とした姿、尊厳があるではないか。

 因みに、弘道館の中に斉昭公が自書したこの詩の掛け軸がある由である。

どちらが正しいのか

 さて、此処から此の稿の本題に入る。過日、一人の本会々員から次のような疑問が示された。即ち、大正3年11月14日刊、株式会社明治書院発行の『漢和名詩類選評釋』という本では、此の詩は次の通りになっているが、どちらが正しいのか、という質問である。

弘道館中一(←◎)樹梅 清香馥郁十分開

好文豈是(←◎)無威武 雪裏占春天下魁

 ◎印を付けた2個所が異なっているというのであるが、次に述べる理由により、此の本の詩が間違っていると言えよう。

(一)起句の「千」か「一」かに就いて

(イ)平仄の失調により「一」は誤りである。「一」では、その上の四字目の「中」が孤平になるという、ルール上の誤りにすぐ気が付く。

(ロ)意味の上での誤り。この「千樹梅」は単に梅が千本もあるという藩黌である弘道館の庭の実景だけではなく、弘道館に学び、学んでいる水戸藩の優れた人材が大勢居るということに思い付かなければならない。梅には佳人(漢語では男性をも含む)、或いは高士というニュアンスがあることから、水戸藩には「俊才が多い、多士済々だよ」と言った後、承句でその人達が才能を十分発揮していると暗に誇っているのである。このように、意味の上からも「一」では斉昭公も甚だ心外であると怒るのではなかろうか。「千樹」に就いてもう少し述べると、次の中唐の劉禹錫の詩が思い出される。

元和[げんな]十年自朗  元和十年 朗州より召を承けて
州承召至京戯  京に至る 戯れに花を看る

  贈看花諸君子   諸君子に贈る 
紫陌紅塵払面来 紫陌の紅塵 面を払って来たる
無人不道看花回 人の花を看て回[かえ]ると道[い]わざる無し
玄都観裏桃千樹 玄都観裏 桃千樹
尽是劉郎去後栽 尽く是れ劉郎去りし後に栽[う]えし

 意味は次の通り。

 都大路[おおじ]では赤い砂塵が顔に吹きつける程、人また人。その大勢の人達が全員、花見をした帰りだと言う。それは玄都観(観は道教の寺)に千本もの樹が植えられている桃の花見だが、これらは全て自分が地方へ左遷されている間に植えられたものだ。

 作者は、王叔文の派に属していたが、王が失脚した時、朗州(湖南省常徳県)の司馬に遷されたが、元和10年(815)に都に召還された。その時に此の詩を作ったが、転句で自分とは反対派の者が大勢のさばっていると誹謗したと解釈され、直ちに更に遠い連州(広東省連県)に左遷された。『唐詩選』にも採られている此の詩は、当然のことながら斉昭公も熟知し「桃千樹」「千樹梅」に代えて沢山の人の比喩にしたことは想像に難くない。

(ニ)転句の「謂」と「是」に就いて

 詩意の相違に就いて考えると、「謂」では「好文にどうして威武が無いと謂えようか、否、威武は有ると謂える」と婉曲に言っている。これに対し「是」では、「好文にどうして威武が無いのか、有るよ」と直截的に言い切っている。詩の表現として、同じことを言うのに断定する場合と遠回しに言う場合がる。この相違は詩に限らないが、特に含蓄を尊ぶ詩では、一般的には説明を避け膨[ふく]らみを持った表現が重視される。其処で、筆者の考えでは、「是」には押し付けがましさを感ずると同時に、些か品性が劣るようにも思える。詩は、含蓄も然[さ]る事ながら、品格が最も重要である。

 ※「威武」に就いては註を参照されたい。

 上のような理由により、冒頭に掲載した詩が正しいと判断した。

詩には「意象」がある

 序でに結句の内容にも言及したい。これも単なる情景描写に止まらず、幕末の動乱の中で、尊皇攘夷を称えた斉昭公が自ら置かれた状況を示したかったのではなかろうか。井伊大老により小梅村に蟄居を命ぜられた前に作られたか、或いは後に作られたか興味を唆[そそのか]されるが、作成時期は不明である。唯、この詩に触発されて、桜田門外の変や、天狗党騒擾が惹き起こされたかと想像出来るのも、あながち見当外れではあるまい。

 このように、詩には意象と言って何気ない風景描写の中に、作者の思いが潜在していることは珍しくないのであって、詩を鑑賞する場合、漫然と読むのではなく、其処まで思いを致さなければならない。皮相のものしか見えないようでは詩が分かったとは言えない。

 尚、漢詩の場合、本によって異る字句が現出することがあるが、それ程、稀なことではない。例えば、李白の「静夜思」は、『唐詩選』『唐詩三百首』では、2個所異る。 先ず、『唐詩選』では、次の通り。

牀前看月光 疑是地上霜

挙頭望山月 低頭思故郷

次に『唐詩三百首』。こちらは、題が「夜思」となっている。

牀前明(←◎)月光 疑是地上霜

挙頭望明(←◎)月 低頭思故郷

 どちらが良いか、皆さん静思してみたら如何。

 註『孟子 騰文公下』に、「威武不屈、此之謂大丈夫」とある。これも斉昭公は読んだと考えられるので、詩中に「謂」と「威武」を使ったかと推察するが、あながち牽強付会ではあるまい。