(2008年04月01日)

〈同塵舎詩話G〉

再び起・承・転・結に就いて

全漢詩連常務理事  窪寺 貫道

異なった見方から

 過去4回ばかり起・承・転・結に就いて述べてきたが、筆者の教室に参加している人の中でも、これが未だ十分に分っていない向きもある。其処で今回は異なった見方から絶句の此の点に就いて再論する。

      江南春   江南の春  晩唐  杜牧
千里鶯啼緑映紅 千里鶯啼いて 緑 紅に映ず
水村山郭酒旗風 水村山郭 酒旗の風
南朝四百八十寺 南朝 四百八十寺
多少樓台煙雨中 多少の楼台 煙雨の中

 これは杜牧の有名な詩であるが、此の詩の起・承・転・結に就いて考えてみる。

 先ず起句で、「千里にも亘る此処、江南では鴬が啼き、緑の草木に映えるかのように紅い花が咲いている。」と詠[うた]い始め、承句は「川に臨んだ村や山ぞいの村には酒屋の目じるしの旗を翻して風が吹いている。」と起句と承句で詩の舞台となった江南の風景が詠われたが、起句だけでは単なる野景に過ぎないのを、更に其処には水村や山郭があるという風景を二句のセットで完結させた。ということは、起句の景色にそしてと付け加えたのが承句である。

 次の転句は、「南朝時代に都のあった此処建康では古いお寺が沢山ある」と場面の転換を計った。つまり、起・承句で述べた晴れた景色と異り一方では、こういう物も其処の雨の景色の中に存在しているよと、懐古の情を添えたのである。

 最後の結句では、「それら幾つもの高殿[たかどの]が瀟々と煙った春雨の中に静かに立っている」と結んだ。これは、前の三句の風景を踏まえて、それで雨中の眼前の景色はこうだよと描写した。換言すると、

起句 「風景」を述べて、
承句 そしてその風景にプラスする。
転句 一方では懐古の情を伴った風景。
結句 それでと重ねて風景を述べながら、前半の晴れの風景に、後半の転句の情を伴った風景の句を洵に上手に結びつけた。

起・承二句のセットで

 次に、同じ作者のこれも有名な詩をみる。

     清明  清明  晩唐  杜牧
C明時節雨紛紛 C明の時節 雨紛々
路上行人欲斷魂 路上の行人 魂を断たんと欲す
借問酒家何處有 借問す 酒家は何れの処に有りや
牧童遙指杏花村 牧童遙かに指さす 杏花の村

 前の詩と同じように、此の詩に就いても四句の関係を考える。

 起句は、「春も深まる清明の時だと言うのに冷たい雨が盛んに降っている。」と状況を説明した後で、承句は、「この雨の為に(体は寒いし)気持ちもすっかり萎えてしまった。」と続けた。これは起句の状況を受けてそれ故(其の結果)、こうなってしまったと風景を述べるのと同時に起・承二句のセットで状況を表した。

 転句はそこでどうしたかを言うのである。「一寸教えて欲しいのだが(冷えた体を温めるのに)何処かに酒屋はないかね。」と通りがかりの牛飼いの童児に問うと、結句で、「牧童は、あっちの方にあるよと指をさしたが、その先に杏の花が咲く村があった。」その結果を述べたのである。これも、念の為に整理してみる。

起句 作者の居る「状況」を述べて、
承句 それ故こうだという気持ちを言う。
転句 そこで何をしたか。
結句 その結果やれやれ助かったとなる。

 この詩は前の詩とは異なり単なる風景と懐古の詩ではない。春も深まろうとしているのに、この雨は何でこんなに寒いんだ!と少々恨みがましい気持ちを「断魂」で表現しているが、これは漢詩の独特のオーバーな言い方であって、結句の酒屋が、見える距離の「杏花村」まで行けば「有」る。

 つまり、何分か後に冷えた体を温める酒に在り付けるという、安堵の気持を引き出していることが分る。

五言絶句の場合

 次は五言絶句ではどうだろうか。

    春暁  春暁  盛唐  孟浩然
春眠不覺曉 春眠 暁を覚えず
處處聞啼鳥 処処 啼鳥を聞く
夜來風雨聲 夜来 風雨の声
花落知多少 花落ちること知んぬ多少ぞ

 この詩も言わずと知れた超有名な詩である。

 起句は、「うつらうつらと快い眠りを楽しんでいる。」という作者の詠い出しは、万人の春眠を貪りたいという共感を促す作者の様子が手に取るように分る。次の承句は、(夢とも現[うつつ]とも分らない中で)あちらでも、こちらでも鳥が啼いているなあ。」として、詩には出て来ないが、此処で作者は目を覚ました。

 そして思い出したのが、転句の、「そう言えば、昨夜から風がひどく吹き、雨が随分降って五月蝿[うるさ]かったよなあ。」である。それを受けて結句は、「その結果、今を盛りと咲き誇っていた花が大概[たいがい]散ってしまっただろう。」という残念さを込めた想像で締め括[くく]った。

 前の二首と同じように整理する。

起句 作者の様子。
承句 そして』起句の続きを言う。
転句 ところで』と眠りから覚めて昨夜の状況を思い出す。
結句 きっと』と思い出してからの結果を詠った。

 この詩の起句と承句は、作者の少し前の状態を表わした、『そして』で続けた二句でのワン・セットである。

 転句は、実際には風景を見ているわけではなく、耳から入った音で、激しい風雨の襲来を知り、且つ結句でも見ているわけではないのに、春の嵐の後の庭の荒れた様子を想像して、些か残念がっているという作者の今の様子を表現したのである。

 尚、此の詩は仄韻で起句も押韻している上、平仄は承句と転句が粘[ねん]しないという拗体[ようたい](破格の詩)である。

 今回は絶句三首を取り上げ、各々の起・承・転・結句の役割を『  』内の三字又は四字で敢て説明してみるという試みを行った。読者にとって分り易かったであろうか。