(2008年11月15日)

同塵舎詩話⑩

起・承・転・結に就いてその四

全漢詩連常務理事  窪寺貫道

 前々号から2回続けて絶句の起・承・転・結に就いて異った観点から書いて来たが、続けて欲しいという何人かの読者が居られるので、今回も同じやり方を踏襲して述べてみたい。

 今回は全対格の絶句の起・承・転・結がどのようになっているか考えてみる。全対格の絶句とは、起・承句が対、転・結句が対になっている詩を言う。例で説明した方が分り易いので示そう。

全対格の絶句の構成

   溪陰堂渓陰堂 蘇東坡
白水滿時雙鷺下 白水満つる時 双鷺下[くだ]
綠槐高處一蝉吟 緑槐高き処 一蝉吟ず
酒醒門外三竿日 酒醒め門外 三竿の日
臥看溪南十畝陰 臥して看る渓南 十畝の陰

 意味は、次の通り。澄んだ谷川の水が溢れ流れるところへ二羽の鷺が降り、緑の槐(えんじゅ)の高い幹で一匹の蝉が鳴いている。前夜したたかに飲んだ酒がようやく醒める頃、門の外では陽が高く昇っているが、ベッドに臥したまま、谷川の南に拡がる十畝ばかりの緑の木陰をのんびり眺めている。つまり、結句で前三句で描写した風景をも見ているのである。

 この詩の構成を見よう。起句と承句の一字目から下へ順に見ると、「白」「緑」の色の対、「水」「槐」の名詞の対、「満」「高」の述語の対、「時」「処」の時間と空間の対、「双」「一」の数の対、「鷺」「蝉」の鳥と昆虫の対、「下」「吟」の動詞の対というように整然とした対句になっている。

 但し、起句の「下」は仄字で韻を踏んでいない。所謂「踏み落し」である。起句と承句を対句にする時は、起句を踏み落しにするのが正格である。これは、七言律詩の後半の平仄の構成である。

 次の転・結句も対句である。第一字と第二字は各々、読み下しは「酒醒め」「臥して看る」と一見して対になっていないようだが、「臥」には「寝室」という意味もあるので「酒」「臥」の名詞の対と見てよい。

 次の「醒」「看」は動詞の対、「門」「渓」は名詞の対、「外」「南」は方角の対、「三」「十」は数字の対である。更に「竿」「畝」「日」「陰」は名詞の対である。

 尚、「日」「陰」は、明るいと暗の対をも暗示している。又、五字目は四句を通して数字を並べ、技巧を凝らしている。

 さて、この四句の起・承・転・結はどうなっているのであろうか。

 起句は視線を下に向け二羽の鷺を、承句は聴覚に従い、その視線を上に向け一匹の蝉を見つけた。同じ視線でも上と「更に」下の違いがある。これで起・承句が対等のワン・セットとして出来上がった。転句と結句は、前二句で描写された風景の見える渓陰堂で作者は何をしているかになる。

 前の晩に飲み過ぎ寝坊をした為、日が已に高く昇っているのを門の外に「オヤッ!!」と思って見た。然し、すぐに起き上るわけでもなく、寝床の中から不精を決め込み目を渓南に転じているのは、正に勤めに出掛けなくてもよい身の上での、閑適を愉しんでいることに他ならない。其処で結句は「まあ、いいか!!」となる。

 これを整理すると次のようになる。

 起句 作者の視線の先にある「風景」

 承句 「更に」起句から目を転じ耳を借りた景。

 転句 「オヤッ!!」寝坊を悟った景色。

 結句 「まあ、いいか!!」寝坊を自ら許しての光景。

各々が主張している

 もう一首、全対格の絶句を見よう。

    絶句四首 其三絶句四首 其の三盛唐  杜甫
兩箇黄鸝鳴翠柳 両箇の黄鸝 翠柳に鳴き
一行白鷺上靑天 一行の白鷺 青天に上る
窓含西嶺千秋雪 窓には含む 西嶺千秋の雪
門泊東呉萬里船 門には泊す 東呉万里の船

 成都の草堂での作である。難しい詩ではないが、意味を一応述べておこう。二羽の鶯が翠の柳の枝で鳴き、一列になって白い鷺が青い空を飛んで行く。我が家の窓からは西の山々の万年雪が望めるし、門の下では万里もの東の呉の国へ行く船が舫っている。

 既に前の詩で説明したように、起句と承句の対、転句と結句の対がどのようになっているか見よう。

 即ち、起・承句では、「二羽」「一列」「黄」「白」「?」「鷺」「鳴く」「上る」「翠」「青」「柳」(踏み落しで韻を踏んでない)「天」、転・結句では「窓」と「門」「含む」「泊る」「西」「東」「千」「万」「秋」「里」「雪」「船」というように、綺麗な対になっている。

 詩の内容は起句が近景、承句が遠景、転句が遠景、結句が近景となっている。この中、結句の「東呉万里船」は、遠く離れた故郷河南省鞏県に帰りたいと念願しながら、成都に寓居している杜甫の望郷の思いが表われている句である。

 さて、この詩に就いても、起・承・転・結がどうなっているか考えよう。

 起句は、庭先が門前の柳の枝で二羽の鶯が鳴いているという近景であるが、「黄」「翠」の色の対比が見られる。承句は其処から視線を遠くの青空に移すと、一列を作って白い鷺が飛び去って行くのを見ているが、この句も「白」「青」の色の対比が鮮やかである。従って、この承句も起句の風景を継いだ対等のワンセットで「更に」というように、近いと遠いの差はあるが重ねて風景描写をしている。

 唯、この二句にも杜甫の望郷の思いが隠されているように筆者には思える。何故なら、春が再び回り自由に鳴く鶯、どこ迄も続く青空を恐らくは故郷へ帰ろうとしているかも知れない鷺(に仮託した渡り鳥か)の姿と、帰りたくても帰れない自分の身を重ね合せているのではなかろうか。

 さて、近景から遠景に移った杜甫の目は転句で再び遠景に転じた。それでは転句を一言で表現すると、どう言ったら良いか。「だけど」と言えよう。前二句で自在に飛ぶ鳥に望郷の念を唆されたが、現実は窓から見える千年もの雪を冠った山のように、自分は身動きが出来ない。結句で、せめて万里の東へ航行する船に自分の願いを乗せたいとしたのを「いいなー!!」としてみた。

 これを整理すると次のようになる。

 起句 作者の見ている「風景」

 承句 「更に」と風景を続けて詠ずる。

 転句 「だけど」と前二句と異なる景。

 結句 「いいなー!!」と実景の中に望みを託す。

 このように、対等でお互いに合わせて離れないような対句でも、各々が主張しているのである。