(2010年05月15日)

同塵舎詩話O

起・承・転・結に就いてその十

小学六年生の作った一首を考察する              

全漢詩連常務理事  窪寺貫道

いくつかの問題点

 今回は、筆者の処へ投稿された小学生の詩の添削を通し、起・承・転・結を考えてみたい。

 これは小学六年生のM・Oさん(女性)の詩である。先ず原作を示してから、問題点と添削の理由を書く。尚、この詩を含め、掲載する詩に就いては、作らせた指導者は一切添削していない由である。

   春日郊行 春日郊行
早春梅信入新晴 早春梅信 新晴に入る
花笑鶯歌吟屐輕 花は笑[さ]き鶯は歌い 吟屐[ぎんげき]軽し
村店買茶寒較減 村店に茶を買えば 寒[かん][やや]減じ
午天漫歩忘歸程 午天 漫歩して 帰程を忘る

 春の日に郊外を散歩した詩である。脚韻は八庚、平仄もきちんと整えられ、起・承・転・結句も役目を果し、詠じたいことも理解出来るという、一応まとまった詩であるが、問題点が幾つかあるので列記する。

(一)起句は「梅信」、梅の便りが「新晴」─雨がやんで晴れたというのだが、梅の便りが新晴へ入って行くとは、どういうことか。上の四字と下の三字の連絡が悪い。

(二)承句の「花笑」「鶯語」の対語[ついご]は成立しているが、「花」「鶯」という語の対[つい]のままで良いか。

(三)承句の「吟屐輕」と、転句で「村店」へ立寄り、結句で「漫歩」していることは、承句のこの三字の足どり軽く歩いていることと重複ではないか。ということは、起・承・転・結句の各句の役割が十分に果されてないと言えよう。

(四)転句の「買茶寒較減」だが、お茶を買っただけで寒さが減るだろうか。

(五)結句の「午天」は、この詩の時間を午後だけに限定する必要があるか。帰程を忘れる程、夕方まで「郊行」(この詩の題)していても良いではないか。

 と言う様な疑問がある。それらを解決する為、次のように直した。(字の右側に傍線を添えた処が添削した箇所)

    春日郊行  春日郊行   
早春曳杖入新晴 早春 杖を曳き 新晴に入る
梅笑鶯歌意自輕 梅は笑[さ]き鶯は歌い 意 自から軽し
村店喫茶寒較減 村店に茶を喫すれば 寒 較[やや]減じ
更尋勝景忘歸程 更に勝景を尋ね 帰程を忘る

 起句「曳杖」により、承句の「吟屐」を消して「意自輕」にする。これにより(一)(三)の疑問に対する解答にした。杖を曳いて、晴れたばかりの野原を歩いて転句の村店に入った。そして、その後の結句で「漫歩」、漫然と歩いたとしては不可[いけ]ない。

 (二)の承句に就いては「花」を消し、起句で使わなくなった「梅」を入れる。こうすると「梅」「鶯」の対になり、「花」だと漠然とした対が、脳裡に明確に景色として示すことが出来よう。更に「意自輕」としたことにより、梅の花を観賞し鶯の歌に耳を傾けて、春の野遊びのうきうきした気分になったと表現した。

 (四)の転句の疑問に対して、「買」「喫」に変えた理由は、茶店[ちゃみせ]で熱い茶を飲んで休んでいるうちに、体も温まったが、恐らくは午後になり寒さが減って来たと考えられよう。そして、心機一転して、結句でもう一度探梅を続けようとする伏線とした。

詩は素直に、サラッと

 (五)の疑問である結句は、午後に漫然とぶらぶら歩いているのでは、それ以前の句と重複するばかりか、下の三字が生きない。転句で寒さを少し凌ぐことが出来たので、もっと良い景色がないか、あちらこちら積極的に尋ね歩いているうちに、帰り道を忘れてしまったと結んだ。「更」という字を使って右のように探梅したことを暗示した。

 換言すれば、承句で既に梅の花を見たり鶯の声を聞いているから、重複を避ける為に「更」という字を使ったのに外ならない。くどいようだが、 少休憩した後、もう一度「勝景」を尋ねるとしないと、起・承句と重複する。即ち、重複すると結句の役割を果せなくなるではないか。

 そして、「午天」と時間を限定する必要があるか、という疑問を提示した。つまり、この詩でわざわざ「午天」とすることに意味があるだろうか。例えば午後、急に天候が変り雪が降って来たとかならば「午天」を使う意味がある。然し、そうではないから、もっと他のことを言う方が良い。

 其処で、前述のように結句上四字を「更尋勝景」とした。

 このように、詩は起・承・転・結句の全体を見て、重複しないように語・句を整えるのと同時に、各々が矛盾しないよう、目配りをしなければならないのである。

 さて、最後に念の為に付け加えておくが、「忘歸程」は、実は漢詩の場合は、帰り道が分かっていても、わざとこのように言うのである。

 無責任な隠者的態度が昔から?々用いられているのは、漢詩の持つ、或いは醸し出す魅力の一つであり、特徴である。この詩の場合は、決して「急歸程」とやっては不可ない。若しそのようにすると「更尋勝景」が台無しになってしまうからである。

 以上、小学生の作った詩を、起・承・転・結を通して添削した過程を述べて来たが、小学生でも高学年になると結構、漢詩を作れることが分る。つまり、漢詩を作ることは決して難しいことではない。小賢しい知慧を持ち、人生経験の豊富な大人顔負けである。

 詩は素直に、サラッと作りたい。理屈を言わず、見たままを素直に、自分の表わしたいと思う感情を率直に言おうとすればよいのである。そして、其処には正確な表現がなければならない。不正確な表現や、理屈をこねくりまわした詩は、何を言いたいのか分らない。そのような詩は直して欲しいと言われても添削不可能なのである。

 次回も、小学生の詩を紹介する予定である。