(2007年11月19日)

母国語の力あってこそ

─ 子供に媚びる、といえば、この頃のNHK中国語講座を見ると、まるでディズニーランド風の感じです。若い人はこれでないとついてこないのかな、と思うんですが、違和感があります。昭和36年頃でしょうか、京大の吉川幸次郎先生がやはりNHKの教養講座で「杜甫」を講義されました。黒板が一つ、韓国人の助手と日本人の大学院生がいて、杜甫の詩を日本語と韓国語で二人が詠み、さらに吉川先生が中国語で詠むというシンプルな講座でしたが、これは今も忘れられません。三つの国の言葉の美しい音の交叉が実に印象的でした。杜甫の詩はこのように、漢詩は中国語のほかに、韓国語、日本語、そしてベトナム語などでも読まれただろうと思い、感動しました。漢詩の音、音楽性というものを、はじめて体験したような気がしました。

若井田 子供の興味をひきつけるために、イラストを多用したり、面白おかしく書いたりする教科書が主流ですが、本当に力を秘めた古典に触れれば、子供たちは自然に学び取っていくと思います。余計なこと、子供に媚びることはしない、というのが「日本語」教科書の基本的な考え方です。

この「日本語」教科書を6年間使うと、和歌を約130首、俳句を24〜25句、漢詩も25首、近代詩20、論語が17〜18篇、古文10篇ぐらいに触れることになります。

1年生の論語は「学びて時にこれを習う、また悦ばしからずや。朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」をのせていますが、実は原典ではこのあとにもう一節あります。「人知らずして慍らず、また君子ならずや」をあえて教科書ではカットしています。人の生き方として、人が自分のことを分かってくれなくても、自分の求める道を行く、というのはすばらしいし、私自身もそう生きたいと思います。ただ、今の子供たちはこれから世界に出て行きます。世界の人々に自分の考えを十分に分かってもらえるように努力できる子供であってほしい、と思うのです。

教科「日本語」の狙いは、深く考える子供、自分の考えを表現できる子供、日本文化を大切に継承する子供、という3つを基本にしています。自分の中に話すべき豊かなものを持って、十分に表現でき、世界の中に日本文化を紹介できること、世界は多様ですから、言語や文化の違う人たちといい交友関係つくったり、一緒にプロジェクトチームをつくって仕事をしたり、そんなことができる子供に育ってほしい、世界の中で生々と生きることができる子供を、という気持でした。

それでカットしたのですが、いずれにしてもまず母語を大切にしないとダメだ、と思っています。私は母語で深く考えられないと、外国語は母語の力以上に深まらないと思います。