(2004年07月01日)
座談会『日本の漢詩はどこから来てどこに行くのか』
浅岡、石川、岡崎、金、窪寺、住田、中山、福原

斯文会・二松學舎のこと

石川 戦後、漢詩壇がなくなったのは、一つには戦争中の紙の統制ということもあるんです。

紙の統制で地方誌は全部ダメになってしまった。漢詩の指導者がいなくなってしまったこと、コミュニケーションの場がなくなったこと、それから学制改革、教育改革による教養の低下ということが大きいですよ。後がつづかない。「東華」のあとが「言永」になって、そのあとがない。下がいないわけです。

岡崎 漢詩文の中核の一つに、湯島聖堂の斯文会がありますね。石川先生は今、理事長です。

石川 戦後でいえば、前川研堂[けんどう]さんがまずあって、亡くなられたあとは高田陶軒[とうけん]先生。この先生がパーキンソン病になって、麓保孝先生がついだのですが、この先生はご自分で漢詩が上手ではないことを自認しておられたので、私はそばについて、34年見習いのようなことをしてました。

昭和50年ごろから私が聖堂の聖社詩会を引き継いでいます。古典講座は、初め数人の長老が開いておられましたが、私が理事長になった平成2年からは、学会の中心を為す先生がたの講座を増やして、今は40近くの講座が開設されています。

岡崎 いろんな講座がある中で、漢詩の位置づけはどうなっていますか。

石川 聖社詩会です。当初は中心になっていた人たちは高齢の方ばかり。裁錦会の安武さんとか、中国人の黎国昌[レイコクショウ]という人、新田大作さんのお父さんの新田雲処[うんしょ]さんとか、そういう人が中心で、古色蒼然とした会でした。会員が20人くらいだったでしょうか。それがだんだんにふえて、今は80人位になってきました。そのほかに入門講座も設け、これらは100人です。

岡崎 ウェイティング・リストに随分名前があって、窪寺先生もこの4月から新しく漢詩実作講座を開講されたのですね。

窪寺 ええ、月1回、土曜日にやっています。45人ほどの方が見えています。

住田 私は石川先生の講座に出席しています。戦後の漢詩は落ちるところまで落ちて、今また上昇気流にのってきたわけですね。

住田笛雄さん

石川 その通り、もうドン底まで落ちて…

中山 じゃ、あとは昇る一方…。

岡崎 とすると、高度成長の時代がもっともよくなかったんですね。

石川 明治以来の貯金がなくなったあと、あとを継いだ人たちも亡くなって、どん底になったんです。

岡崎 一種の空白期もあった…。

石川 それでも裁錦会とか、細々とつながっているところもある。

岡崎 全国的な漢詩の雑誌というと、今や季刊「二松詩文」だけですか。

石川 その話もしておきましょう。二松学舎創立100周年のとき、浦野匡彦理事長・学長(故人)が音頭を取って、二松詩文会を作ったのです。「二松詩文」を出したのが、昭和52年10月のことです。そのときの原初の同人メンバーで今もいるのは、私や服部承風さんなどほんの数人しかいません。しかし、こういう動きが起きたこと自体、新しい時代が動きはじめた、ということですね。

窪寺 私のところの「清真」は、毎月45首掲載しています。書と詩をのせる月刊誌としては、全国で唯一のものか、と思います。

窪寺 啓さん

岡崎 窪寺先生は今「二松詩文」の同人・編集委員をされていますが、漢詩との接点はどのあたりにあったのでしょうか。

窪寺
 私は昭和34年から。金子哲太郎先生、号は清超という方で、二松学舎の教授でした。その方が清真会という書の会を作って、展覧会は全部自詠自書、自分で作った漢詩を自分で書け、という主義の方でした。今の山田安之・二松学舎理事長のおじいさん山田濟齋先生のお弟子さんです。

岡崎 その頃から漢詩を作り始められたわけですね。仲間は多かったですか。

窪寺 会には100人位はいましたね。ただ、やっぱり長続きはしない。今は150人位いますが、その頃から残っている人は20人位でしょうか。そんなふうに書に近づいたのが昭和28年、一橋大学3年でした。その頃は履歴書はまだ、筆で書いていたので、筆が使えなければダメだ、というわけで、たまたま親戚の者が金子先生に習っていたことから、私も習うことになって、そのうちに漢詩もつくって見てもらうようになったわけです。

「二松詩文」にも創刊号から入っていて、とびとびに投稿していました。

岡崎 私はいま、朝日カルチャーセンター横浜で、窪寺先生に漢詩を教わっているのですが、中山さんも同じクラスです。

中山 私が通い始めたときは石川梅次郎先生で、そのあと窪寺先生にかわりました。

窪寺 石川梅次郎先生が12年位、私があとを受けて今年で8年になっていますね。

石川 私もNHKカルチャーセンターで、最初は読むだけだったのが、作る方もやって欲しいということで、実作教室が始ったのが昭和58年。これもだんだん生徒がふえて、ずっとキャンセル待ち。私も忙しくなって、今は月1回になっています。私の家内もここに通い始めましたから、弟子というわけです。

窪寺 カルチャーセンターはあちこちでやっています。服部承風先生も、たしか名古屋でやっていらっしゃる。福岡では園木さんという方がやっていらっしゃいます。

岡崎 カルチャーセンターの役割も、かなり大きいといえますね。

石川 そうですね。しかし、ほんとうに指導できる人がどれだけあるか、という問題はあるんです。

窪寺 それでもそれなりにやって、漢詩に興味を持つようになる人が拡がってはいると思うんですけれども、たしかにどこまで上手になれるか、という問題はあります。連盟設立の気運も、ひとつにはしっかり添削指導のできる最上級者を育成しなければならない、という心配が石川先生にあったところから出てきたという面もあります。

岡崎 私は古典芸能の取材もやりましたが、漢詩をやりはじめて、漢詩は歌舞伎でなく文楽に似ているかな、と思いました。歌舞伎は梨園の御曹司を主役にするために徹底した帝王学、端役はすっ飛ばして集中的に主役の稽古をさせる。ところが、文楽はどんな名門の血統の人でも、まず足から始めて、手、カシラと何年もかかって一歩ずつ移っていくしかない。漢詩も詩的な感性だけではつくれない。平仄、韻、詩語…など、きびしいルールをまず体得しないとつくれないことがわかります。

石川 なるほどね。漢詩はキチンと一からやらないと、一足飛びにはできないですよ。

中山 日本の芸術芸能の特徴じゃないですか。先生の許しを得るまでは、とにかくついてゆくと。

岡崎 住田さんはどういうきっかけで、漢詩を始めたのですか。

住田 ぼくは昔から漢詩そのものは好きで、岩波から出た中国詩人選集など、初版で全部持っています。とにかく好きなんです。ただ、作って見ようと思ったのは、60歳になったとき、これから先のことを考えて、漢詩で自詩自書自吟だな、という目標を立てて、湯島聖堂の石川先生の講座に入ったのです。まだ3年位です。

中山 私は仕事をやめるまでは、化学・生化学が専門でしたから、外国の論文を追っかけるだけで精一杯、漢詩をやる暇はなかったです。軍隊の幼年学校のとき、お前たちは将校になるんだから、教養がないといかん、なるべくたくさん漢詩を読め、といわれて、朝[あした]に辞す白帝彩雲の間…とかやっていました。軍人画集みたいなのがあって、西郷隆盛とか乃木大将だとかの漢詩がたくさん載っているのを読みましたが、平仄や韻は誰も教えてはくれなかったし、それきりでしたね。戦後、会社時代は漢詩と縁がなかった。ただ3年間、歌人の吉野秀雄先生が社内の短歌誌を担当されていて、その間は毎月3首位ずつ、せっせと短歌を出していました。

中山 清さん

石川 それでどうして漢詩へ?

中山 いや、同じだと思うんですよ。テレビの俳句や短歌の大会で、講師の批評を聞いていると、言っていることは漢詩も同じだなと思います。65歳で会社関係の仕事から完全に離れて、朝日カルチャーセンター横浜で石川梅次郎先生に教わりました。最初にいわれたのは「とにかく、二四不同、二六対」これだけです。あとは『だれにもできる漢詩の作り方』を見て、何でもいいから作って来なさい、と言われました。何とかついていって、途中から窪寺先生に代わりました。窪寺先生はていねいに教えて下さいますから、助かります。

浅岡 私は斉藤荊園[けいえん]先生の漢詩文の勉強会に出たのがはじめです。このときは老子を何年か読みました。漢詩はもう教えておられなくて、石川忠久先生のラジオ高校講座の漢詩をよく聞きました。あの名調子は今も覚えています。それで、斉藤先生が亡くなられたあと、日野市で開いておられた石川先生の会に入って、漢詩が始まりました。不肖の弟子で、あまり進歩しないので申し訳ないのですが…

浅岡清明さん

石川 ふしぎに思うのは、この会はメンバーは少しずつ代わってるんだけれど、絶えないんですよ。今も20人くらいいますね。

岡崎 私も漢詩は好きで、吉川幸次郎さんの「新唐詩選」「人間詩話」などは大学時代から読んでいました。でも、漢詩を作ることは全く頭にありませんでした。たまたま妻が数年前和菓子を習い始めました。和菓子は季節の草花、例えば紫陽花、桜吹雪、銀杏餅…といったものがテーマになるので、これに添った七言絶句をつくって和菓子につけてお客さんに差上げたら、話のタネになるかもしれない、というまことに俗な動機で、窪寺先生の教室に入りました。今年で丸2年になります。まだ「だれにもできる漢詩の作り方」(太刀掛呂山)がないと漢詩がつくれません。

窪寺 あの本は安いのがまたいいですね。漢詩を普及させるには、やっぱり教科書が安い必要があるんです。「詩語集成」もいいのですが、あれは高価ですからね。

石川 「だれにも…」は旅行にも持っていける手軽で重宝な本ですからね。

窪寺 それは非常に便利です。一つ欠点があるとすれば、韻の並べ方がちょっと不親切で分かりにくい。これはケイを引くだけでも見やすくなるんですけれどね。

住田 次のページに移るところが間違いやすい。

窪寺 方々で作り方をやらされるので、この本を買ってみたら、作る人が韻を間違えやすいことが分かったんです。松雲堂の店主に改訂版を作ってほしい、と言っているんですけどね。

福原 全漢詩連のホームページにも、近い将来、作り方を載せたいと思うんです。添削までは無理としても、教本を載せたいものです。こんどホームページを更新して中学一年生の首藤磨美さんが漢詩をつくっていることを流したら、すぐにアメリカから、こんな若い人がやってるなんて露知らなかった、とメールが入りました。首藤さんみたいに、家族ぐるみで漢詩をやってるなんて、ほんとに珍しいことです。

上手下手よりも、まず漢詩そのものに関心をもってもらうことが一番、今は学校でも漢詩は教えないわけですから、ホームページで漢詩の作り方を教えたり、中学生が家族ぐるみで漢詩をつくっていることを知らせるのは、とても大切なことだと思うのです。若い人はインターネットをよく見ていますからね。もちろん、小・中学校で漢詩を教えることに越したことはないですけれども、現状は、そうでない以上、とにかくホームページでも漢詩のPRをしっかりしないことには、どうしようもないと思うんです。若者対策としては、ね。