(2008年05月10日)
《座談会》 漢詩の楽しみ・漢詩の可能性
宇多喜代子、中沢けい、石川忠久、岡崎満義

タテ書きとヨコ書き

中沢 小説の場合は、実際は形を作ってゆくのです。作ったある形が世の中に適合しなくなると、壊すという現象が起こります。例えば、小説の神様といわれた志賀直哉は、「小僧の神様」を書いたからそういわれたと、幼い頃は思っていましたが、そうではなくて、一つのスタイルを作り上げた人でした。ところがそれが1970年代になってそのスタイルで書いていってよいのか、という問題が出ます。面白いのですが、例えば踏み切りのことを書くとして、一日3本しか電車が通らない頃の踏切と、今の小田急線のように、どんどん電車が通って、殆ど開かずの踏切とでは違うので、古いスタイルで書くと、本当はそこにどんどん電車が通ってゆくのに、一日3本しか通らないような雰囲気が生まれてしまう。

それを作り変えてゆく。小説の場合はそういう自由なところがある。長く小説を書いていて、ある一定レベルの力を持っている人は、定型といわれたことと同じなのか、一定のスタイルでズーっと書いているので、本当に丁寧に書かれた良い作品なのだけれど魅力がないと言われたり、リアリティーとして古くなっている。そこを突き破ってゆくという自由さを小説は持っています。

ただし、小説と漢詩というと、すぐ思い出すのは、漱石が「明暗」を書いていたときのことで、午前中に新聞小説を書く。午後から漢詩を作る。精神のバランスを取るためにどうしてもこうせざるを得なかったのだ、ということを漱石は書いていますね。

岡崎 漱石が大正5年に亡くなって、殆ど同時に漢詩の欄が新聞雑誌から消えて、漢詩は凋落の一途を辿った。それから更に第2次世界大戦を経て、江戸から明治にかけてあんなに盛んであったものが、こんなに衰退してしまった。


石川忠久会長

石川 これは第一に、戦後の学制改革、教育改革が、大きな作用をしていますね。教育漢字で、漢字の数を制限し、それ以上のものは教えない。それと今漢文という学科が独立の学科ではなくなってしまった。国語の中に組み込まれてしまった。昔は英・数・漢と来たものが、漢がなくなった。このようなことと考え合わせると、教育の問題が一番大きいですね。今、中学では漢文は殆どやらないし、高校だって一冊の教科書の中にチョビッと入っているだけ。戦前の状態とは雲泥の差です。昔に返れというとアナクロニズムといわれるかも知れないが、少しでも当時の状態に近づけるように持ってゆかねばならない、これが再浮上の基本ですね。

岡崎 もう一つ、本場の中国では、毛沢東は漢詩を作っていますが、文化大革命でずいぶん荒っぽいことをやって、古典そのものがあまり大事にされてこなかった。

石川 それもありますね。毛沢東は詩も作り色々自分ではやっているのに、他人にはそれを作るな、と。漢字はもうなくなる、なくすのだと公言していました。そうはなりませんでしたし、今後もならないと思うが、この影響は大きかった。あの文化大革命10年間は、本を読むことすらが罪だった。当然古典の勉強など全然していない。その世代の人たちが、弱い。今はその反動もあってか、やはり古典を勉強しなければ、という考え方が出てきて、初等教育・中等教育では、漢詩の暗誦を義務化しています。初等教育6年間では80首。中等教育3年間では更に80首。合計160首を暗誦することが義務になっています。大きな変化ですね。此の世代が育ってきた暁には良くなるとおもいます。一昨年、北京大学に行ったときにつくづく感じましたが、今30代の若者は、非常に良く勉強している。日本はそれに比べると、見劣りがしていますね。

岡崎 この間内山書店に行きましたら、小学生用に「必ず覚えるべき漢詩」という中国の本が出ていました。ただ、横書きで、しかも簡体字で、読みにくいのです。

石川 それが大きな問題です。ところが、もう、染み付いてしまっている。中国人の留学生は漢詩でも何でもみな横書き簡体字です。

中沢 先日中国へ行きましたが、3日くらい余裕があったので、ダムが出来る前の三峡へ行ってきました。そのときに、白帝城を通った。私が唯一書ける例の、朝に辞す、の詩を、何気なく縦に書いていたのです。そうしたらそれを見つけた中国の人たちが、大変だ大変だ、といって、こういう風に書ける人は今もういない、というわけです。その日から私はいきなり尊敬のまなざしで見られて、大変なご馳走を頂いて。たった一つ書けた李白の詩で、大もうけをした、というお話です。

縦書き横書きの問題をはじめ、中国がどんな政治を取りどんな思想を取るか、で、日中韓の三国が大きな影響を受ける、ということを、改めて感じざるを得ないのですね。我々は、漢字というものを通して共通性を持っている、という根っこの部分は強く結びついている、と思うのですね。日本が一番残っていますか。台湾がまだ完全に旧体字を守っていますが。韓国も、80年代中頃までは詩などは縦書きにしていたのですが、現代詩の詩集は、ハングルで横文字になっています。

岡崎 最初に型の話が少しでまして、宇多さんにお聞きしたいのですが、俳句の世界で無季の句とか、自由律とか、ある意味で型を破るような運動がありましたね。

宇多 何でもこうであらねばならないと、教条的になるとやはりはみ出したくなる。あれは必要だったと思います。例えば自由律。定型を少し外れた、種田山頭火という人気のある人の作った自由律というのは、沢山作るのですが、今残っていて皆に愛誦されているのは、短い句なのです。わけいってわけいっても青い山、とか、後姿の時雨れて行くか、とか。リズムがあって口誦性のあるものが残って行きます。これは一つの時代性、時代の空気だったと思います。それに刺激されて、今まで違う所にあった言葉が入ってきたりしましたから、あれは非常に有効だった。一つのウエイブとして出てきた、時代の要請だったと思います。

中沢 例えば耳で聞いて理解する時に5・7調といいますか、5音と7音で構成されていると聞きやすい。今まで近代の中でよい文章といわれているものは、きちっと七五調の流れがある。ところが、三島由紀夫が「文章読本」という本を書いていますが、その一番最初におかれている章が、男文字と女文字というので、日本の文芸作品で叙情を述べる場合、くねくねした、かなの文学なのだと言っています。漢字による文学が男性的だが、こちらは自立したものは無いと指摘しているのですが、これを敷衍して考えると耳で聞いて内容を理解しやすい文章を書こうとすると、リズムに、我々でも縛られています。

一方、論理性のある、構築性のある文章を書こうとすると、どうしても漢語を使わなければならない。だから、リズムを取るか、論理性を取るか、原稿を書いている時には無意識の内に迫られているのです。漢詩は、そういう日本のリズムから見て何か違いがあるのかどうか。