(2009年11月15日)

3時間にわたる日中詩書論壇会で日本側から提起された論考を再録する─

「詩書両輪」とは何か

第5回詩書論壇会における講演の再録
全漢詩連常務理事  菅原有恒

 詩書を学んだ浅学菲才なる愚者が、第五回日中詩書論壇の席上において、中国の偉大なる先生方を前に敢えて拙なる私見「詩書両輪考」について述べさせて頂くことは極めて望外の光栄と痛感いたしております。

 引いては私の述懐について、ご叱正とご指南を頂くことができれば幸甚の至りとするところであります。

 「詩書両輪」という言葉は、インターネット検索でも見つからないし、辞書にも載っていない。私の先師である清真会創立者の金子清超先生がそのまた先師である山田済斉先生から鞭撻された精神であり、「書と詩は車の両輪の如きものであるから、このうちの一を廃しては完車とはいえない」という言葉に凝縮している。

 したがって、我々清真会の門弟は、詩書両輪を標榜して、今日に至っても先生のお言葉の虚でないことを心肝に銘じ実践している。現在、書も詩も最盛期は過ぎたものの、一時の低迷期から脱して、新しい時代に移行しつつあると思われる。その方向が詩書両輪ではないかと感じている。

 「詩書両輪」と同じような意味で「自詠自書」「自詠詩書」「自作詩書」或は、それに親しむ人として「文人墨客」という言葉があるが、これらは、ほぼ、同一の意味を示す言葉と解釈している。

 本展における中国側の同様の表現については、第一回日中友好自詠詩書交流展北京展(1990年)において当時の副主席沈鵬先生が「自作詩書は非常に興味深く、中国書法家協会としても今後、自作詩書を奨励していきたい」と述べられたこと、また、第四回北京展(1993年)の企画座談会「自詠詩と書道間の芸術性について」において、当時の秘書長の謝雲先生が「詩を以って書を伝え、書を以って詩を熔かす。書に新しい内容を付け加えた“詩書芸術”は書道文化の発展に大きな役割を果たすものである。」と述べておられる。