(2010年08月15日)

大正天皇はすぐれた漢詩人

 さて、大正天皇。この詩を今日はお話ししたいのです。実は最近大修館から「漢詩人・大正天皇」を出版したばかりなのです。大正天皇は余り良く言われていない面もあるのですが、漢詩については大正天皇は歴代125人の天皇の中のナンバーワン。数も多いし、質も優れている。

 今日のこの御作は、何と数え年18歳の時の御作です。満だと16歳、高校一年生か二年生。漢詩をならい始めのホヤホヤの作です。先生の三島中洲が多少手を入れたかもしれないが、それでも土台が良かったものと思います。

 目黒村、今は村どころの騒ぎではないが、あの目黒です。西郷従道の大きな別邸があった。そこへ当時は皇太子殿下の大正天皇が遊行された。その時の御作。

雨餘村落午風微 雨余[うよ]の村落 午風微[び]なり
新緑陰中胡蝶飛 新緑陰中 胡蝶[こちょう]飛ぶ
二様芳香來撲鼻 二様の芳香来りて鼻を撲[う]
焙茶氣雜野薔薇 茶を焙[い]るの気は雑[まじ]わる野薔薇に

 雨上り。目黒村。昼の風がかすかに吹いている。風が吹いていることが大切。

 新緑の樹の陰から蝶々がひらひらと飛んで来た。まず新緑の樹のくろい陰、その黒っぽい処から白い蝶々がひらひら。この蝶々が読者の視線を誘っている。

 二通りの良いにおいがして来たぞ。香りが鼻を撲つ、これは風が吹いているからなのです。第一句でちゃんと午風微なりと。生垣があって、生垣の中は農家、農家ではお茶を焙っている。そのお茶のにおいがプーンとして来る。農家でお茶を焙っている姿は、生垣の向うだから見えない。

 蝶々がひらひらと来て生垣の方へ行く。その方に野ばらが咲いている。その野ばらの方からも良いにおいがする。とても良いセンスです。「二様」と云う言葉は実は生まな言葉です。古典にはない。

 この辺りは素人っぽさが出ているのかも知れない。逆にこのことが、この作が本当に皇太子殿下の御作だと云うことの証明になる。

 それにしても、習い始められてからまだ三ヶ月位の御作で、センスが良いことを特に大きな声で云いたい。良く云われなかったのは、大変にお気の毒な事で、私に云わせれば大正天皇は大変な詩人であります。

 暗い木陰から蝶々が飛ぶことによって、それが視線を射る。そのひらひらと行く先に赤い野ばらが咲いている。目に訴え、鼻に訴え、風が吹くから肌にも訴えている。この詩はぜひ高校の教科書に採用して欲しい。

 微・飛・薇、「微」の韻です。

 次は向日葵花。向日葵は実はひまわりではないんだそうです。詩中に「日に向って傾く」とあるし、これまでずーっとひまわりだと思って解釈して来た。ところが、植物学者から、かの大漢和辞典を作った鎌田先生の処に投書が来た。

 大漢和辞典には「向日葵」=ひまわりと書いてある。この詩の当時は中国にはまだひまわりは伝来していない、アンデス山中にのみあった、と。アンデス山中から中国に伝わったのはずーと後の明の頃、との事で鎌田先生は謝った返事をお書きになったと云う内容のお話を聞きました。

     初夏  初夏司馬光
四月C和雨乍晴 四月清和 雨乍[たちま]ち晴れ
南山當戸轉分明 南山戸に当たって 転[うた]た分明なり
更無柳絮因風起 更に柳絮[りゅうじょ]の風に因[よ]って起こる無く
惟有葵花向日傾 惟葵[だき]花の日に向かって傾く有り

 四月は陰歴で夏です。四、五、六月が夏。清和は四月一日。因みに旧暦では今日(五月十四日)が四月一日で今日から夏です。昨日迄は春でした。私は新しい手帳には旧暦を全部書き込みます。

 旧暦の方が漢詩をやるのには良いのです。現代人は月に余り関心がないが、昔の人は良く月を見ていて、満月の時は必ず詩作をし、或は宴会をしたものであります。

 さて、清和にさあっと雨が降って、いい具合に上った。南の山が戸口の向う、戸に当る、と云うのは、戸口とま向い、転た、と云うのは、いよいよ、ますますと云う副詞です。いよいよはっきり出る。良い雨が降ったから尚さらますますはっきり見えるのです。司馬光がこの詩を作った処は洛陽です。

 後半の二句は対句です。

 もう柳の綿が風に乗って飛んで来ることも無い。ただ葵の花が、太陽に向かって傾くのがあるばかり。

 つまり、主役の交代。昨日迄春だったが、今日から初夏になったので、柳絮はもうおしまいで、これからは「ひまわり」と云いたいですネ。ひまわりが陽に向って我がもの顔に咲く。主役の交代、こう云う処に目をつけたのです。そこでこの柳絮についていえば謝道?[しゃどううん]と云う詩人、四世紀の人ですが、雪を柳の綿に見立てた。

 「柳絮因風起」の五字は、謝道?の句です。叔父の謝安[あん]と云う人と姪や甥が沢山集まっていた時に、叔父さんが目の前の雪を何かになぞらえて御覧、と云った時に、甥の一人が、空から塩がまかれたようだ、と云った。面白いが、余り風流ではない。

 そこへ謝道?が柳の綿が風によって飛んでいるようです、と云った。うん、お前の方がずっと風流だと、褒められたと云う故事による。謝道?は、謝霊雲と云う詩人の祖父の姉、大叔母に当る。第一句は冒韻になっていますが、冒韻は余りやかましく云わなくとも良い。C和のCが韻字の晴と同じ八「庚」です。

 次は荷(蓮)花「はす」です。