(2003年03月21日)
講演会『明治以後の漢詩』
全日本漢詩連盟会長 石川忠久

日清戦争から衰え始める

 さて、漢詩の水準が高まった江戸時代でも、最も栄えたのは18世紀の後半すぎから、19世紀の前半迄。具体的にいいますと、当時の年号で、安永、天明、寛政から享保を挟んで文化、文政、天保迄、西暦でいいますと1772年から1844年までになります。この間の70年、これがピークです。

 この間には、東には市河寛斎、西には菅茶山、菅茶山の友人の頼春水、その子の頼山陽、京都には中島棕隠、九州には広瀬淡窓と沢山の詩人が出ています。大まかにこの時代は宋風です。この前は唐風の時代です。唐風も盛唐の規格の高い詩を尚ぶ風、典型的なのは荻生徂徠、服部南郭。こういった人達の作品を思い浮かべれば判るでしょう。

 ああいうように盛唐風といったものが風靡しまして、そのあとに、その反動として山本北山あたりが唱えて宋風というものがずーっと出て来た。

 但し一概に宋風というけれども、その中に日本風が出て来たと思うんです。唐風から宋風へという詩の流れの中で、自然に日本の味が出て来たのです。明治になって、だんだんと様子が変わって来ますけれど、急に衰えたわけではない。私の見るところ衰え始めは日清戦争だと思います。

 この日清戦争の頃、日本は富国強兵という事で、色々な制度が富国強兵に向けて整備された。学校もそうです。例えば、中学や高等学校、そしてさらに上に大学、という制度が整備されて来た。学校教育が整備されて来るのに反比例して、漢詩漢文の比重は落ちて行くわけです。考えて見れば江戸時代迄は勉強といったら漢文だけだった。中学が出来、高等学校が出来ると英語も数学も体操もやるというぐあいに、漢文の比重はずーっと下って来る。