(2003年03月21日)

講演会『明治以後の漢詩』
全日本漢詩連盟会長 石川忠久

漢文の訓読法の発明

 さて、今日は「明治以後の漢詩」についてお話します。

 日本は大体遣唐船の往来の頃から、漢詩を積極的に学び始めまして、8世紀の半ば751年には「懐風藻」という日本で最初の漢詩集が出来ました。

 ちょうどその頃は、中国の最も詩の栄えた時代です。李白、杜甫、王維、王昌齢、岑參、高適、こういった人達が長安の都を中心として、活躍した時代に、日本では最初の漢詩集が生まれたのです。

 その漢詩集の中味は、今日の眼から見ますとまだまだ幼稚な段階でありまして、中国ではそれより150年程前の五言詩の時代の真似をしていたわけです。

 しかし、それから100年しか経たない、菅原道真になりますともうご承知の通り白楽天ばりの作品が出来ています。ですから非常に発達が早かった、ということがいえると思います。

 ただ本当に、日本人のものになる迄には矢張り相当の時間がかかりました。なぜかというと、中国の詩は2000年かけて練り上げた世界最高の詩歌です。外国人である日本人が習熟するのは容易ではない。『詩経』の昔の紀元前1200年ごろから流れつづけて西暦700年頃迄に2000年かけて、丁度遣唐使の往来の頃、中国では完成したものです。

 そのような長い時間をかけて完成したものでありますから、それは外国人である日本人が真似をしようとしてもおいそれと出来るものではありません。ただ、菅原道真の作品を見ますと、多少の和習はありますけれども、相当の力量がうかがわれます。

 そんなわけで、日本では丁度遣唐船の往来の頃に、中国の人から直かに学んで、そうしてああいうような作品が出来たわけでありますが、ここで特筆すべきことは、丁度遣唐船の終る頃に、漢文の訓読法が発明されたんです。漢文の原文に記しを付けて、カナを振る事によって、たちどころに読めてしまう。これによって漢文は自由自在に読め、漢詩は自由自在に作れるのです。

 このことは非常に大きかった。訓読法の発明によって、中国の人から直かに学ばなくともすむようになったのです。只だ、最初の段階では和習がどうしてもまつわり、未熟なものが多いです。それが、五山を経て江戸になると、日本人はこれを完全に自分のものにしました。

 江戸の漢詩人たちは、漢文の頭で作っているけれども、出来た作品は、中国人が見ても全然おかしくないどころか、中国人そこのけの作品が出来ています。江戸の260年ばかりの間には、世界文学の中でも珍しい事をやっているんです。詩というものは一国の文化の粋でありますから、外国人が身につけるだけでも大変なのに、それを己がものとして、しかも自分の感性なり美意識なりを表すことが出来た。この事は、世界文学の中でも例がない。特筆大書すべき事であります。

 このように優れたものを我々は持っている。にもかかわらず、今日ないがしろにしている。中国文学者は中国文学ではないからといって冷淡であります。一方国文学者は漢文だからといってやらないんです。どちらからもやらない。そっくりそのまま手つかずとなって残っているといっていい。

 やる人がいても、世界文学の中で例のない優れたものであるという意識の下にこれを扱う事はやっていないと思う。これはこれからの大きな課題だと思います。