(2004年03月20日)
講演会『「さまよえる中級人」へのメッセージ〈作詩質的〉』

服部 承風

名詩を技術的に読む

 一句練習は「説南朝」の上に「落花深處」の四字が拾えて、ああ上手くいったな、表現が完成した、となります。それでよいのですが、もうひとつ、こんどは転句の場合、時に掃くことをやめ、の上の四字、これがいいので参考になります。眉雪の老僧がしゃべったのです、掃くことをやめて。

 眉が雪のような老僧が、ノロノロと箒をはいている。もう歳ですから、行動は鈍いでしょう。その位の方を感じさせるとすれば、老僧なるが故に語り継ぎ方がある。お爺さんから聞いた、師匠から聞いている。そういう本人が80になったところで、今、みなさんにお話しましょう、と。

 これはなかなか芸が細かい。単にそこに坊さんがいて、後醍醐天皇がここで……云々ではダメなのです。

 「さまよえる中級人」をきっかりと終了してもらうためには、こうした名詩を技術的に読むことです。良い詩だと思ったら、技法的に読み返してみる。

 次に目は南朝の朝で韻をふまえたところに行く。吉野を懐古しようというとき、先人の詩が竹外の頭の中にいくらもある。周囲の人たちの詩もいくらもある。しかし、「説南朝」と下に置いて、みなさんはヘボなことを言ってるなあ、わしはそんなヘボはやらないぞ。どこで自負しているか。それは、朝を使ったら、下平声の二蕭の韻を使う、ということなのです。

 「落花深處説南朝」ときたら、もう絶対に二蕭の韻で作るのだ、という覚悟です。起承の二句は必ず同韻でふむわけです。「説南朝」の最後の句ができたところで、恐る恐るでよいから、同一韻目の表をよく見て、これはある程度使えそうだ、これはダメだとふるいにかけていく。「寂寥」がある。これは「落花深處説南朝」という風景に合いそうだ。

 南朝の歴史は、華々しいところで桜が咲いた、というのではダメです。やはり落花深き処、なのです。風景自体も寂寥です。これは絶対にほしい。