(2005年10月28日)
講演会『江戸東京の漢詩』
全日本漢詩連盟会長 石川 忠久

漢詩が花開いた綱吉の時代

 東京には名所も多く、いい詩が多いが、今日は隅田川にゆかりの詩をとりあげたい。

 江戸が始ったのは1603年、そのあとも大阪冬の陣、夏の陣があって、完全に戦争が終ったのは1615年。江戸の初期はまだ物情騒然としていた。それから1866年までの265年間が江戸時代。漢詩でいえば、これは4期に分けられる。

 第1期は80年、漢詩はまだ本格化していない。もちろん、石川丈山、木下順庵、その門下には新井白石、室鳩巣、荻生徂徠などが出た。木下門下のこの三人は、次の時代の人といってよい。

 第2期70年は5代将軍綱吉から始まる。綱吉は犬公方といわれて、世間的に評判が悪いが、大変な学者で、江戸15人の将軍の中では、一番の文人。漢詩もこの頃から盛んになり、江戸の風景を多く詠み始めるのは、この第2期からだ。新井白石、室鳩巣、荻生徂徠はこの時代のリーダー、その下に服部南郭がでた。

 江戸の人は隅田川の風景を大変好んだ。桜、舟遊び、両岸には料亭もでき、キレイドコロもいた。世に「墨江三絶」といわれるものの始まりだ。服部南郭、少し後に高野蘭亭、平野金華、隅田川の詩の幕開けは、何といっても服部南郭(1683−1759)だ。

    夜下墨水
金龍山畔江月浮 金龍山畔江月浮かぶ
江揺月湧金龍流 江揺ぎ月湧いて金龍流る
扁舟不住天如水 扁舟住まらず天水の如し
両岸秋風下二州 両岸の秋風二州を下る

金龍山というのは待乳山のことで、小さな山だが、その上から見ると、隅田川の波がゆれ、月が湧く。月が湧くというのは杜甫の詩にある。月がキラキラ光って流れているのが、金の龍のようだ。金龍山という固有名詞をうまく使っているのが、技である。

 山の下に金の龍が流れているという表現は、ダイナミックだ。平仄はあってない。しかし、絶句の規則を破るところに、この詩の面白さがある。李白などもよく規則を破っている。「一杯一杯又一杯」。わざと型を破って面白さを出そうとしている。

 南郭もそれをまねている。南郭の師は荻生徂徠で、いわゆる古文辞派だ。「文は秦漢、詩は盛唐」といった。これが古文辞派のスローガンだ。盛唐の中でも李白の詩には勢いのよさ、力強さがある。天馬空を行くが如し。そのようなものが、江戸の勢いとあっていたのではないか。

 唐は玄宗皇帝までは勢いがあるが、だんだん衰退に向かい、退廃的になっていく。時代の勢いと詩風は関係ある。江戸も同様だ。

 扁舟は小舟のこと。これにはニュアンスがある。世俗とあまりかかわらないような遊びの舟を指す。日常のしがらみからはなれて、自由に生きていく、そのとき使う舟、それが扁舟。字の働きがある。

 扁舟住まらず。これは李白。両岸猿声啼不住。ほかの字もあるが、李白を意識して、不住という字を使っている。

 両岸秋風下二州。これも李白だ。憶君不見下渝州[ゆしゅう]。悠然とした大河のおもむきがある。隅田川はオーイと呼べば対岸で聞こえるような川幅だが、詩の世界だからその誇張は許される。二州は武州と総州。あらためて読んでみると、すごい詩だ。まさに江戸時代の漢詩の幕明けにふさわしい詩だ。

 さて、次はョ杏坪[らい きょうへい](1756−1834)の詩。南郭から100年後の詩だ。

    江都雑詩
金龍山畔江月浮 金龍山畔江月浮かぶ
金龍依舊湧江流 金龍旧に依って江に湧いて流る
百年無復南翁句 百年復た南翁の句無し
惆悵西風両岸秋 惆悵す西風両岸の秋

 わざと南郭の句をとっている。南郭をしのぶ詩になっている。ョ山陽の父は春水。この人は三兄弟で春水、春風、杏坪といった。第2期は1772年、安永天明頃まで。このあたりで詩が変わる。以後、エピゴーネン風なのがでてきて、小粒になる。宋風がでてきて、一つの時代の終わりを感じさせる。