(2007年10月07日)

先人の良い詩の流れを読む

 では、残りの時間を使って、茨城の生んだ詩人、宮本茶村のお話をします。この先生は生まれたのが1793年、18世紀の一番おわり、寛政の改革のころで、将軍は家斉。今の内閣総理大臣に当たる老中筆頭が松平定信、楽翁だった頃、茨城の潮来に生まれた。そして、1862年、70歳まで生きました。明治のご一新が1868年ですから、その6年前まで、文字通り江戸時代の末期に生を受けました。

 ほぼ全生涯を茨城の地で過ごされました。兄が一人いて、家業を継ぐことになっていたが、家業は所謂農民だったが、かなり手広くやっていた。この兄は、優秀な人で、江戸に出て昌平黌で勉強して、最後はお隣仙台藩の藩儒になった、宮本篁村といいます。

 家業は、兄が継がないので、結局茶村が継いだ。それでも家が裕福でしたから、茶村も江戸に遊学した。最初に付いた先生は山本北山、有名な先生です。ところがこの先生は茶村が江戸に出て二三年で亡くなってしまう。茶村ちょうど20歳の頃です。

 北山は、江戸の詩風を変えた人です。北山以前は江戸の詩風は唐風だった。これを宋風に変えた。それまで唐風で一番有名だったのは、服部南郭。その師が荻生徂徠。徂徠の塾が萱場町にありましたので、萱場の萱を取って、萱園派といいます。この派は典型的な唐風を鼓吹した。

 今我々が読む唐詩選、これが萱園派の一番に推奨したテキストだった。唐詩のテキストは沢山ありますが、徂徠派の推奨したのが唐詩選だった。今日に至るまでズーッとこれは流れています。唐詩選の風は所謂盛唐の風。唐も300年ありますが、そのなかで一番詩が栄えたのが盛唐です。初唐・盛唐・中唐・晩唐と分けるが、盛唐の時代に、李白も杜甫も、王維も岑参も王昌齢も、皆出ている。

 この時代を風靡して隆盛に向かっている唐風の詩を、皆手本としたわけです。典型的なのが服部南郭。この人の最高傑作と言われているのが、「夜墨水を下る」。弟弟子には高野蘭亭、平野錦花、この人は隣の福島県の人ですが、こういうような詩人が沢山現れていて、唐詩を鼓吹しました。

 ところが、唐詩はこれは誰でも真似することが出来るわけではない。下手にまねすると、こけおどしの詩を作ることになる。南郭の隅田川の詩にも、多少その傾向があります。あの隅田川を、揚子江のようにうたっていますから。これは、始めのうちは、面白いな、と思われるが、段々飽きてくる。

 そこで山本北山が、唐詩はよくない、真似をするなら宋詩だと、宋詩を推奨した。宋詩にもいろいろあるが、北宋と南宋とあって、北宋で代表は王安石。この風が、南宋に流れます。

 もう一つは蘇東坡。この人は独立独歩。真似のしようが無い。南宋になると今度は陸放、笵成大などが、ワーッと出てくる。この風が、山本北山以後の日本の江戸時代の主流になって来る。現れたのが、広島の菅茶山です。彼は最も陸放や笵成大に近いですね。

 日本人はそのように、唐や宋の真似をするだけでは満足出来ない。それらを取り込みつつ、日本風を出してくる。その典型が頼山陽です。彼の詩は、大きく見ると宋風になる。しかし、宋風の枠の中には入りきらない。日本の独自の風を打ち出している。ちょうどそのころに生きたのが、宮本茶村です。頼山陽より13歳若い。で、「山本北山先生の墓に謁す」といって、自分の習った先生のお墓に謁って、作った詩があります。

  万頃胸臆を開き  三千冶鎔に頼る
  行蔵是の則を称し  道義その宗を得たり
  幽室駕すること何ぞ早き  帝郷 雲 幾重
  瓣香炊きて未だ了らず  陰雨松樅に暗し

 茶村が20歳のときに北山は亡くなって、その後に作った、20代前半の作品です。であるのにもうこういう、堂々たる五言律詩を作っている。

 さて、最初の詩の首聯も、ゆるい対になっている。冶鎔はあまり聞かない言葉だが、訓育とか、薫陶とかに近い言葉です。3000人の弟子を北山先生は教えたわけです。万頃の句は、この先生の胸が広く大きいということです。

 行蔵と道義の句は対句になっているが、進んだり引いて身を蔵したりは、則にかなっている、人として一番大事なことは、進むべきときに進み、引くべきときにひくこと、有名な屈原と漁師の問答にもあるが、違うと屈原みたいになってしまうが、先生は法則にかなっておられた。そして道義、先生の道は、最も正統的であった。

 頸聯も対句ですが、先生が早くもお亡くなりになった、北山は61歳でなくなりました。茶村にとってみればもっと長生きして頂いて、もっと教わりたかった、という気持ちが強かったでしょう。幽室というのは奥深い死者の世界。帝郷といっているのも、これも黄泉の国です。雲が幾重にもたたなわって、隔てられてしまった。

 瓣香は一つまみの香を言うが、同時に一瓣香という言葉がある。この言葉は、尊敬する人に対して捧げるものを言います。その手向けがまだ終わらないに、暗い雨が松や樅の木のところに、暗く降っているといって、自分の暗い心を、景色によって描いている。絶望の様子が良く出ている。余程先生に可愛がられたのでしょう。

 こういう立派な詩人がいるのですから、常陸の人たちにはもっとしっかり鑑賞してほしい。詩吟などにも取り上げたらいかがかと思います。