(2007年10月07日)

プラスとマイナス

 次に、柳澤久基さんの「初夏杏里に遊ぶ」を見ます。

四月薫風度杏園 四月 薫風 杏園を度[わた]
C暉燦燦緑陰繁 清暉 燦燦[さんさん]として緑陰 繁し
東皇既去空人影 東皇 既に去りて 人影 空し
唯見勝花花後村 唯だ見る 花に勝る 花後の村

 この詩も最後の句がよい。花に勝る花後の村、これが良い。花という字がくっついていて尻取りになっている。しゃれた句になっている。ただ、むやみやたらに使うと、逆に効果がそがれる危険性もあるのだけれども、この詩の場合には、ますますこれを効果あらしめる前半の二句の舞台装置が4月、旧暦の4月、もう初夏ですね。一・二・三が春、四・五・六が夏。ですから薫風といっている。薫風杏園を度り、清暉燦燦として緑陰繁し、この緑陰というのが4月薫風と相い応じている。もう、春も終わって緑の季節になっている。清らかな緑の光が燦燦と輝いている。

 この作品も前半二句で十分な舞台装置をしている。そこで第三句で東皇既に去り、春がもう往ってしまって、むなしい。人影空し。春の花見のころにはあれほど沢山出ていた人影がもう無い。杏の花はもう散ってしまって、人影空し。この空という字も良く効いています。全体に明るい、例えば清暉とか燦燦とか、プラスマイナスで言えばプラス・イメージの言葉が並んでいる。これがマイナス・イメージの寂しさに対して、甘さの中の塩みたいな効果があるのです。何気ない字配りだが、大事です。

 で、結句。唯だ見る花に勝る花後の村。花の時はもちろん良かったんでしょうけれども、それよりも良い花の後の村。改めて前を見てみると、薫風が吹いて、日が燦燦と輝いて、緑の木陰がこんもりと。舞台装置が出来ている。だから、花後の村が花時に勝る、ということが納得されるわけです。なかなかに用意周到で合理的に出来ています。