(2007年10月07日)

結句に工夫と新しい着眼

 最初に保浦義彦さんの「看桜」の詩ですが、茨城県知事賞、一等です。

江城晴暖彩霞飛 江城は晴暖 彩霞[さいか]飛び
爛漫花枝映日輝 爛漫たる花枝 日に映じて輝く
愛此翻風紅幾片 愛す此の 風に翻る紅幾片
又随流水伴春歸 又流水に随い 春を伴いて帰る

 この作品は品がいいですね。穏やかな詩でありまして、作者のお人柄を表しているものと思います。此の詩の一番のみそ、目立つところは最後の句です。流水に随い春を伴いて帰る。此の前の句を見ますと、桜の花がひらひらと風に翻って飛ぶ、それが水に落ちます。そして流れてゆきます。その流れて行く様を見る。ここまでは普通のことですが、その流れて行く様を見て、それが春を連れ帰ってゆくと見たところが良い。

 こういう着眼が出来たらもうしめたものです。絶句は短い詩ですから、何か一点、こういうものをつかんだらもう大成功です。ただし、それをうまく表現しなければならない。

 結句を生かすためには、前半の二句が大切です。前半の二句が唐突な舞台装置だったら、これは生きてはきません。そこで前半の二句をみますと、ここは先ず川が流れている街だから、江城、そしてお天気も良いわけです。晴れて暖かい。彩霞飛ぶ。霞というのは、これはかすみではない。朝焼けとか夕焼けとか、美しく彩られている色のついた美しい、霞という。

 それで次、受け句で日に映じて輝く、と日が出てきた。霞は中に日を蔵している。つまり日の縁語になっていますから、次に日が出てくる。このように見てくると、前半の二句で十分な舞台装置をしていることがわかります。川べりの街であり、春の晴れた暖かい気候であり、日が輝いている。そこで、爛漫たる花が咲いている。これだけの舞台装置でお膳立てをしておいて、風を吹かせる。第三句で風を吹かせたから、此の風に乗って、パーッと花びらが散る。川べりの街であることは言ってあるから、花びらは流水に乗って流れて行く。その流れてゆくのを、春を伴って帰ってゆくと見た。良いですね。

 これは、宋詩の中に入れてもわからない。唐詩ではない、唐の詩の空気ではない。唐のあと、宋になって、こういう詩風になった。第一句の彩霞という言葉から連想するのは、初唐の王勃と言う人の「滕王閣の序」というのがあります。詩も有名だが、序のほうはもっと有名で、その滕王閣というのは復元されて今でもありますが、そこに王勃という人がやってきて詩をつくった。その中に彩霞という言葉が出てくる。此の言葉は特殊な語ではないが、そういう作品の中に出てくることで、知っている人はピーンとくる。その景を引くことの効果があります。古典の裏づけがある詩です。そういう点で沢山ある中で光りました。