(2009年11月15日)

さすれば、至上の詩書両輪とは何か

 何故、自詠詩書なのか? 金子清超先生は、純粋な心の声である詩と、本然の心の姿を現す書、このありのままなる自己本然の姿である自詠自書によって大衆に呼びかけ且つ自己陶冶の資にしたいと考えられ、その事を、「ただ、恒に願うところは人と話せる書を生み出したいということである。書のラジオ、つまり無声のラジオである。」と表現している。

 書は、自然の中の事象の運行をそこに表すのだから自分自身が自然人でなければならない。常に変化する自然に眼を向け、よく観察し、じっくりものを看ることを養うために漢詩を作ることを提唱している。

 韻律のある自詠の漢詩は、自分がどのような思想を持ち、考えを伝えたいという時に、もっとも適切といえるであろう。そして詩を推敲することによって、自分の心を何処まで書として表現できるか、書の中に自分というものが入っているかいないかを自ら反省して磨いていくものである。

 このように、書の中に、書技の巧みさとか、自作の漢詩を書いていれば好いという単純な作業とは異なり、人格を形成された人間が自分で作った漢詩を自分で書くこと、極めて高度なものを求めている。

 先生は82歳の生涯を終えるまでの半生を、心の探究と、道の探求と、詩歌自詠自書の普及への努力に費やしたといえる。「詩と書は、車の両輪の如きものであり、どちらが欠けてもいけない」という先師の言葉を実践してこられた。

 金子清超先生の漢詩集である『石火』と『清真』には詩書両輪に関して述べられた漢詩が多いが、左記の「書懐」と題した漢詩はその一例である。

推敲拈句叙幽懐  気注毫端悟篆蝸
一意探求自然妙  青襟須識学無涯

 (題名:書懐:推敲句を拈して幽懐を叙し 気を毫端に注ぎて篆蝸を悟る 一意探求せん自然の妙 青襟須からく学の涯り無きを識るべし)

 王維(摩詰)>(没年761)は盛唐の自然詩人の一人であるが、南画の鼻祖でもある。その「渭川田家」と題する詩に対して、蘇東坡は“摩詰の詩を味わえば、詩中に画あり。摩詰の画を味わえば、画中に詩あり。”と賛美している。

 中国には宋代に「詩書画三絶」といって文人の理想であったと謂われ、由来、詩を「有声の画」、画を「無声の詩」と呼ばれた。

(注)王維・渭川田家

 「斜光照墟落 窮巷牛羊帰 野老念牧童 倚杖候荊扉 雉?麦苗秀 蚕眠桑葉稀 田夫荷鋤立 相見語依依 即此羨闊 悵然歌式微」

 漢学者の安岡正篤先生は、その著「漢詩読本」の中で書は画よりも更に一層直接的な、気韻性霊な揮灑であることはいうまでもない。“それものを象るは必ず形似にあり。形似はすべからくその骨気を全うすべし。骨気形似、皆立意に基づいて而して用筆に帰す。”(歴代名画期)とは至言である。

 そこで形似にこだわらずして、骨気とか気韻とか性霊とかを旨とすればするほど、詩書画の三者は相近づかざるを得ない。ここに発達したのが題賛である。

 王維などは実はあまり画に賛をすることはしなかったらしく、蘇東坡、趙子昴(趙孟?)のような大手腕でなければめったにやらなかっただろう。と記している。

 また、「詩書画共に胸中の逸気を表すに足り、勝れた交響楽のような調和を保ちながら、画面に生動しているものは、独り東洋にのみ見ることを得る至高の芸術である。それだけに落款さえ慎まなければならないが、まして、賛などになれば、容易に施すべきものではなく、これこそ“画尽きて意ある”場合でなければならないと。