(2010年05月15日)

素養ある人は漢詩を作った

さて、最初に五年前の拙作を御紹介しましたが、今日も作りました。

作ったばかりで、帰ってから直さなければ、と思っていますが、御紹介します。

  再訪諸橋記念館  石川忠久
両毛盡處碧空盡 両毛尽くる処 碧空尽き
車入越州天漸陰 車は越州に入り 天漸く陰る
今日再尋碩儒邑 今日再び尋ぬ 碩儒の邑
追懐遺コ感逾深 遺コを追懐すれば 感逾[いよい]よ深し

新幹線で上野下野をすぎた処、とたんに、不公平だが青空が変る。向うは晴れがこちらは雨。

車は越後の国に入り、天はだんだんと暗くなって来た。

今日再び碩儒の邑を尋ねて、先生の遺徳に懐いをはせると、感ずる処はいよいよ深まる。

  石川忠久
此水此山如旧知 この水 この山 旧知の如し
車行百里景相追 車行百里 景相い追う
稲田稼了郊村靜 稲田稼し了って 郊村 静か
煙雨濠濠錦繍時 煙雨濠濠 錦繍の時

昔はこう云う風に作ることは、ごくごく当たり前だった。今は作る人が余り居なくなって、是非皆さん、この位の詩を作るようになりましょう。

三年も修行すれば作れます。明治、大正、昭和と、だんだんこう云う風習はなくなりましたけれど、明治、大正迄は、例えどんな職業の人でも、凡そインテリならば、此の位の詩は作りました。例えば夏目漱石、彼は英文学者ですよ、けれども漢文の素養もあった。

森?外は、お医者さんでしたが、立派な漢詩を残している。普通の素養のある人は、皆漢詩を作った。

戦後は漢字の制限とかがあって、こう云う事をする人は少なくなったけれど、これは良くない。このような機会を意識して作っているのです。そのうちに、彭湃として起って来ると良い。

三条市庭月の諸橋轍次記念館