(2010年05月15日)

昭和23年のみごとな作

そう云う時になると、東野先生の遺された作品の眞似をし、攀ず、と云うのは、後追いをすることです。

題を同じにして、「年老逢春吟」と曰う、と。

「年老逢春吟」と云う題の由来を説明している、遠い由来は宋の訣N節、近い由来は元田東野、それでこの詩を作った、と。

年老逢春思緬哉 年老い春に逢いて思い緬[はるか]なる哉
時運邁邁一陽回 時運邁邁一陽回る
気和風暖春方好 気和し風暖かく春方[まさ]に好し
才拙事違顔未開 才拙に事違い 顔未だ開かず
去歳城頭花滿樹 去歳城頭 花樹に満つ
今年墟落徑生苔 今年墟落 徑(こみち)に苔を生ず
乾坤再造知何日 乾坤再造知る何れの日ぞ
憂思幾篇続句来 憂思幾篇句を続け来る

この作品は八句で出来ている。しかも、眞ん中の二句ずつは対句になっておりまして、律詩の規則にぴたっと合っています。

年老十三吟は、十三首あるのですが、全部律詩です。一行七字ですから七言律詩。七言律詩は作るのが一番むつかしい。

私は年老い、春の季節に逢い、思いは緬[はる]かに果しなくひろがる。時の運と云うのはどんどんすぎて、又一陽が回って来た。

一陽来復と云う言葉があるでしょう。冬がすぎて春が来る。大気は和やかになり、風は暖かく、春はまことに良い。

次の句とこの二句は同じ構造です。「気」「大」「和する」「拙」と、「風」「事」「暖かい」「違う」「春」「顔」。かなり違う種類の言葉に見えるかも知れないが、品詞としてはぴたっと合っている。

「方に良し」と、「未だ開かず」も、私は才能は拙なく、やる事は全てくい違い、顔は未だ開かない。顔が開かないと云うのは、にこにこ顔が出来ないと云うことです。

春はやって来たけれど、私の方はまだまだ満ち足りない。

才能は拙ない。勿論これは謙遜して云っておられるわけですが、何かと云うとくい違って、にこにこ顔はまだ出来ないと。

去年のこと、城頭の城は「まち」と云う意味です。まちの辺りに花が一杯、樹に咲いた。

今年はと云うと、この村里、墟落と云うのは城頭の反対で、その径(こみち)を歩いていると、苔が生じている。

乾坤再造、知る何れの日ぞ。これは昭和23年に作っている、まだ当時は、先は眞暗だった。我が日本の天子が國を再び造られるのは、一体、何時であろうか。

胸の憂いの思い、幾篇の詩が続いて来ることか。

これが最初の一首で、これがずーっと13首。昭和23年と云う戦後間もなく、まだ曙の光が見えない頃に、先生はこのような詩を作られた。

それはず〜っと遠く、北宋の訣N節、又明治の元田東野と云う先達の道を歩んで、この詩を作られたわけです。

沢山あるもの全部をご紹介すれば良いのだが、一つだけとします。

韻は哉、包、開、苔、来、と踏んでおります。

専門外になるので云いませんけれど、他の平仄の関係もぴしっと合っています。

こう云うむづかしいものをどんどんお作りになる。今日では諸橋先生の作品を見る機会は余りないかと思いますが、詩集もありますので、この館でも出版なさると良いと思います。

矢張り詩の歴史です。諸橋先生がずっと云って来られたのは、明治の十年にお生まれになって、日本の興隆期からだんだんと世の中が変遷し、そして百年、百年お生きになった事だけでも大変だが、その中でこう云う素晴らしい作品を沢山お作りになった。我々も真剣に読まなければいけない。