(2007年11月19日)

〈書評〉
志村 五郎 著
「中国説話文学とその背景」

科挙が生んだ深い説話の世界
常務理事  住田 笛雄

 著者の志村氏は、フェルマーの定理の解を得るのに大きな貢献をした世界的に著名な数学者である。筆者の高校の10歳先輩に当たる。しかし、本書の内容は、学芸文庫に連ねられていることからもわかるとおり、きわめて深い学識に支えられている。

 「太平広記」という西暦981年ころに出た説話集を中心に、桜桃の少女、神仙願望、など、23の項目について、各々数編ずつ、内容の紹介と、そのような説話が伝えられた中国人のものの考え方からその背景を紹介している。

 特にこの背景の部分は、漢詩を作る際に故事を織り込む場合に大いに参考になると思われる。厳武と杜甫の項は、この2人の関係について、なるほど、なぜあれほどの大詩人が実際の公の世界で不遇であったか。深く考えさせられるものがある。

 終章は芥川龍之介でも有名な杜子春が紹介されている。全500巻、4100余頁に及ぶ「太平広記」の中でも、引き締まった文章で最高の作、と著者は評している。

 大きな背景として貫かれているのは、科挙の制度である。過酷な修行を必要としたこの制度が長く続いたがゆえに、多くの説話が生まれたものであろう。冒頭部分の科挙合格後の昇進の次第は、具体的な官名の解説となっており、参考になる。

 著者定年後の努力、というのでなく、50年余りにわたって、専門の数字の世界にありながら、関連図書を収集し、読み続けられた積年の蓄積の披露であるところがまことにすごい。小生などの10年先輩の時代には、漢文読解の実力はまだかくのごときであったかと、恐れ入るばかりである。ともあれ、ぜひ一読をお勧めしたい。