(2004年04月01日)

五・一五事件と獄中の漢詩

堺市 浪速菅廟吟社員  永井 悠山

 平成10年5月20日頃の事だったと思います。 突然手紙が参りまして、差出人は広島県の江田島にお住まいの老婦人の様でした。内に、一篇の書の掛軸の写真が同封してあり、字も解らないしどう読むのか、又意味は何とあるのか教えて欲しいとの御要望でした。



 実は、小生が漢詩でお世話になった、元海兵卒の篠田古鶻先生の奥様の友人で、その奥様に頼んだところ、先生はお亡くなりになった後なので、小生に頼んだらどうかと云う事で、失礼を省みず手紙を差出したとの由、驚いたことにその書は昭和7年5月15日海軍将校が主となり、時の犬養首相を襲撃殺害したときの青年海軍中尉三上卓氏(主謀者)の獄中の直筆の書だったのです。世に云う五・一五事件です。この御婦人は三上中尉の姪に当り、嫁入りの際父親が持たせてくれたとの事、詩は定型から外れています。(漢詩を習得中だったと思います。辞書なく、筆と紙のみを与えられての書です。恐らく心中批正を受けたかったと思いますだが、その躍動するが如き書体、青年らしき生気が漲っている様に小生には感じられます。

三上中尉の獄中の作一首
休道順逆不二門 休道[いうをやめよ] 順逆[じゅんぎゃく]
[ふた]つならざる門[もん]
落落乾坤滿生氣 落々[らくらく]たる乾坤[けんこん]
生氣[せいき]に滿[み]
半生心事向誰説 半生[はんせい]の心事[しんじ]
[たれ]に向[むか]ってか説[と]かん
一片傲?浦賀山 一片[いっぺん]
?[み]を傲[おご]る浦賀[うらが]の山[やま]

昭和癸酉春日 三上 卓 花押

 癸酉とありますから昭和8年です。架電して横須賀市役所広報課上杉氏に問合せした結果、戦前浦賀町大津に軍の獄はあったが、浦賀山と云う山は存在しないと云う返事ですので、結句の解釈に弱ったのを覚えております。恐らく三上中尉が獄窓から浦賀の山並みを望みつつ此の句を書かれたのだろうと想像しつつ、「とるに足らない身ではあるが、泰然としているあの浦賀の山並みのように、何ものにも屈しない心でこの獄中を過している」

と云った様な意味の事を、返事としたのを記憶しています。

 他にも色々解釈はあると思いますが一応、楷書と読み下し文と解釈文を御婦人にはお送りしておきました。詩の原文の控も同封しておきます。

 今からざっと70年前の出来事ですが、是非は別として、20代の青年の心の有りようを現代と比較して考えさせる書ではありました。尚この詩を解読するに当り、大変御迷惑をおかけし、又御協力戴きました京都の中川朱雀胤先生に深く御礼申し上げます。又小生漢詩を学んでいた故に、この様な珍しき機会を得たことを有難く思っております