(2005年07月01日)

虚子と漢詩

関谷 則

 去年聖社詩会で“白蓮暁発”の題が出たとき、発想の手がかりを求めて俳句歳時記を開きました。そこで出会ったのは

大紅蓮[だいぐれん]大白蓮[だいびゃくれん]の夜明けかな

 という虚子の句でした。スケールの大きな一句に圧倒され、しかも詩題そのもの、これ以上何を言ったらいいのかと、一時私の拙い詩作意欲は萎えてしまいました。

 今から50数年前、私はNHKの教育番組の制作の仕事をしておりました。まだテレビは勿論、民間放送もない時代、お正月の特別番組として「新春歌会」「新春句会」が慣例となっていました。

 当時、歌壇は別として、俳句会といえば高浜虚子のホトトギスが最高峰として異論のないところだった為、毎年鎌倉の虚子邸で年末に録音、年始にオンエアという段取りになっていました。宗匠を囲んで星野立子、森田たま、吉屋信子その他財界、政界人など交えた高弟十数人が集り、それぞれ春らしい新作を披露するもので司会はいつも子息の高浜年尾氏でした。

 ある年の句会で私の頭に何故かひっかかった虚子の一句がありました。

からだ中かゆければ掻く老いの春

 というのでした。その頃、今ほど漢詩に親んでいなかった私には虚子先生のヘンな句として、でも忘れられませんでした。

 謎がとけたのは30年以上経って、杜甫や白楽天の詩の中に掻背、掻首などの言葉を見た時でした。句の意味や虚子の心境が少し理解でき、長年の胸のつかえがすっきりしたのでした。

 芭蕉が杜甫を深く敬愛し、影響を多く受けている事は知られていますが、俳句の巨匠といわれた人はみな、素養という底辺に漢詩があり、それが作品のひろがり、深さにつながっていることを知りました。

 “大紅蓮大白蓮の夜明けかな”を詠んだ時、虚子の意識の隅にあったのは、私の知らないどんな漢詩だったのでしょうか。