(2006年01月01日)

<文壇こぼれ話A>

悪筆四天王
全漢詩連常務理事  岡崎 満義

 「悪筆四天王」(会報第9号)のつづき。石原慎太郎、黒岩重吾、田中小実昌につづく4人目は、川上宗薫さん。

 川上宗薫さんは惜しいところで芥川賞を取りそこなってから、しばらく低迷期があったが、昭和40年代にポルノ小説作家として復活し、あれよあれよという間に流行作家になった。事実、「流行作家」という私小説もあり、流行作家の内幕が丹念に描かれていた。このあたりは、純文学で苦労した作家の文章、という感じで、俗におもねるところのない硬質なものであった。ダテに文章修業はしていない、という気迫である。景産されるポルノ小説にも、どこか品があって、私はよく読んだ。

 「いつか川上宗薫論を書いてみたい」と言ったら、川上さんはずっと覚えていて、何年たっても、会うたびに「まだ、できない?」と訊かれて閉口した。

 文春の作家忘年会は、昔は熱海ローマ風呂の大野屋と決っていたが、一時期、新橋の料亭「新喜楽」で開いたことがある。広い座敷に大きな丸テーブルを何か所にも置き、作家と社員、それに高島田で着飾ったキレイどころ、銀座のクラブのホステスなども賑やかに顔を揃えた。

 川上さんの横に坐って話をしていると、川上さんが「君、この人に見覚えない?」と言う。そばで芸者が艶然と笑っている。

「そんな気もしますが、はっきり思い出せません」

「ほら、ぼくの離婚した女房だよ。その後、芸者になりたいといって、衣裳代をン百万円もふんだくられたんだ」

 と言いながらも、うれしそうな顔で、元妻の手を握ったりしているのはおかしかった。そういう飄々とした面白い人だった。

 さて、肝心の字の話。川上さんは売れっ子作家だったから、大半は口述筆記の原稿だったが、月に一本、これぞ、という作品は自分で書いた。これが読みにくかった。原稿用紙の枡目の中で、線香花火がパッパッと飛び散っているのような字である。中空で四隅に身を寄せ合っている、という風情の字であった。「遠心力ばかりで、求心力の働かない字だな」と思い、ひょっとして、これは川上さんの女性遍歴にも通ずるものがあるかも、と思いかけて、いや、それは考えすぎだ、とやめた。

 川上さんが亡くなるまでに、小さいものであっても「宗薫論」を書いて、見せてあげられていたら、と悔いが残っている。

次号は「文壇三大音声の巻」