(2006年10月01日)

〈文壇こぼれ話C〉

取れなかった原稿@ 丸山真男さん
全漢詩連常務理事  岡崎 満義

 編集者の大先輩、戦後3大編集長として、「暮らしの手帳」の花森安治さん、「週刊朝日」の扇谷正造さんと並んで、「文藝春秋」の池島信平さんが数えられているが、この池島さんに「雑誌記者」という名著がある。

 その中に編集者の条件7ヵ条があげられている。「編集者は企画を樹てなければならない」「編集者は文章を書けなければならない」などと並んで、「編集者は原稿をとらなければならない」というのがある。

 「当たり前のことである。しかし、この原稿をとるということは、想像以上にむずかしい仕事だ。簡単に原稿を書いてくれる人ばかり集めていたら、雑誌はすぐ精彩を失ってしまう。なかなか書かない人に、仕事をしてもらうということで、初めて魅力のある雑誌が生まれるわけである

 池島さんが書いている通り、いい原稿をとるのは思ったよりもむずかしい。編集者なら誰でも、狙った原稿を取りそこねて、地団駄をふんだことがあるはずだ。私も40年の編集者生活の中で、数え切れないほどある。釣り落とした魚はみんな大物に思えて、いつまでも忘れることができない。そんな話をしばらく書かせていただく。

 第1回は丸山真男さん。丸山さんの「現代政治の思想と行動」は、大学時代に読んでシビレた本の一冊だった。今から思うと、内容はもとより、硬質でありながら、なおビロードの手ざわりを思わせるような、官能的ともいえる文章に魅せられた気がする。

 編集者になって、一度でいいから丸山さんの原稿を取りたい、とずっと思っていた。1960年代の後半から70年代にかけて、仲間たちと社内に出版研究会をつくり、いろいろな言論人を呼んで話を聞いた。丸山真男さんにも声をかけると、あっさりOKしていただいた。話は丸山さんの自分史のような形ですすんだ。

 「ぼくにとって、大正12年の関東大震災は、昭和20年8月15日以上の原体験だ。そのとき、人間の善なる面と悪の面、人間の深い二面性をしっかりと見た」

 という話に、私は飛びつく思いだった。この話を原稿に頼んで、文藝春秋に掲載したい。

 私はラブレターを書くようなつもりで、二度、お願いの手紙を書き、その後で電話をして、ぜひお目にかかりたい、と頼んだ。東大紛争の数年前のことだった。

 東大法学部の丸山研究室を訪ねた。本がうず高く積まれた、やや薄暗い研究室だった。これが象牙の塔、東大アカデミズムの奥の院、そこでカリスマ的な人気教授に会えるとあって、私はかなり興奮していたと思う。

 丸山さんは雑談の間中、パイプ煙草にたえずライターで火をつけていた。私の強い印象は、立派な頭部だな、ということだった。高い鼻、大きい耳、眼鏡の奥のよく光る目、そういう顔の造作も大きく、堂々としていた。頭も大きく、しっかり脳ミソが詰まって重そうな頭。この間のW杯サッカーで、頭突き一発でイタリア選手を倒したフランスのジダン選手の頭部のような迫力、とでもいおうか。何か強靭な頭部、という感じだ。

 肉体労働者の体が、筋骨たくましいのと同様に、頭脳労働者の頭部も、かくの如く外も内も強靭でなければならないのだ、と思わせる迫力があった。

 ところが、椅子から立ち上った丸山さんの肩から下は、ガクンと細く、胸は薄く、弱々しいのにびっくりした。若いときの結核の後遺症の残る胸部、という感じであった。

 私は頭部と胸部の余りのアンバランスぶりが、丸山さんの論理的な文章の中にひそむえもいわれぬ官能性のおおもとなのではないか、と思ったりしたものだ。

 「君は『暖流』という映画を見たことがありますか」と、突然、映画の話に変わった。私が見ていない、と言うと、丸山さんはその映画の話を始めた。『暖流』の話ができるのが、うれしくてたまらない、というふうに見えた。

 「学生時代に見たこの映画の中で、主人公の佐分利信が、実にいいセリフを吐きましてね。それはフランス映画に出てくるような、日本映画には珍しく、気の利いたセリフでした。佐分利は二人の女性から惚れられていましてね。一人は高峰三枝子扮する家柄のいい知的なインテリ女性、もう一人は貧しい、庶民的な娘なんです。高峰は佐分利が好きなのに、そこはインテリだから率直に言えない。一方の娘は、もう体当たりあるだけの積極的な可愛い娘で、結局、佐分利はこの庶民的な娘と結婚することになった。決まったあとで、高峰が『ほんとうは私もあなたが好きでした』と告白したんです。

 そのときの佐分利の言葉が実にいい。『いや、これでいいんだ。あなたは私なしで生きていける人だ。彼女は私がいなければ生きていけない女性だ』ってね。よし、ぼくも結婚するときはこれでいこう。と思いました。………今日もね、これですよ」

「はッ?」と、私は狐につままれたような気持ちで、丸山さんの顔を見つめた。

「文藝春秋は私なしでもやっていける。私を必要としないんですよ」

丸山さんはうれしそうに笑ったものだ。