(2006年07月01日)

恒遠醒窓と私塾「蔵春園」

『遠帆楼詩鈔』を校註出版して
全漢詩連評議員  三浦 尚司

 恒遠醒窓は日田、咸宜園の広瀬淡窓の高弟であり、奇しくも鴻儒、亀井南冥の孫弟子にあたる。豊前では亀井門派出身のすぐれた教育者として名声が高い。

 蔵春園は、当時、醒窓が豊前国の薬師寺に開設した漢学私塾である。蔵春園の門人数は、延べ3000人は学んだであろうと推定されている。

 恒遠醒窓は、享和3年(1803)10月8日、恒遠傳内景勝の二男として九州の豊前国上毛郡薬師寺村に生まれた。

 醒窓の家は代々、医業を営む家系であったが、父、傳内は農を営む相当の学者であったために醒窓も父親の影響を受けて子供のころから学問を好み、書に親しみ、詩作を好んだ。

 文政2年(1819)醒窓が17歳の時、郷土の先輩として豊後日田の咸宜園に学んだ上毛郡三毛門村の大庄屋、別府直夫の紹介により咸宜園に入門して広瀬淡窓に学んだ。

 醒窓は5年間、咸宜園において淡窓に親炙して学び、その間塾頭を務めたりもした。

 咸宜園に在塾中、淡窓の弟子の中で最も傑出した逸材であり、後に昌平黌の儒官となった中島子玉とは気質が合って親交が深かったと伝えられている。

 当時、兵学者として砲術において著名であった長崎の高島秋帆の家に数ヶ月間身を寄せて、鎖国の日本で唯一外国に開港された長崎にて異国の新しい情報を得たのである。その間、清人、江芸閣や南画の泰斗とされる木下逸雲、僧、鉄翁といった著名な文化人とも交わった。そして数ヶ月後、再び郷里に帰った。

 文政7年(1824)薬師寺村に私塾、「自遠館」を開いた。次第に醒窓の名が世に知られるようになると入門者も増加し、塾の規模も大きくなり、塾名を「蔵春園」と改めた。

 当時、蔵春園に学んだ学徒の出身地は、九州はもとより、山陽、南海、関東、北越にまで及んでいた。醒窓の学統は江戸の荻生徂徠、その弟子、長州の山縣周南、その弟子、亀井南冥、その弟子、豊後の広瀬淡窓へとつながる古文辞学派であった。

 しかし、当時の儒学の主流は朱子学であった。寛政2年(1790)の 「寛政異学の禁」以降は朱子学以外の学問は排斥されがちな情況にあった。

 そのような情況の中で、醒窓はことさら時の権力と対峙することなく豊前の地に私塾としての伝統を一歩一歩築きあげていった。

 蔵春園の学制は学級を十級に分け、さらに各級を上下に分けた。まず十級、九級から出発し、学力の向上に伴って次第に進級した。その進級は平素の成績と臨時の試験により判断された。そして全員の席次が毎月の「月旦評」によって公表された。

 この学制は咸宜園の制度を踏襲したものであった。漢学塾であった蔵春園の学習は、素読、輪読、講義、会読、検討会、独見会(研究発表会)、作文、詩作などであったが、とくに醒窓が師の淡窓と同様に漢詩の詩作に重点を置いた。

 天保13年(1842)、醒窓が初めて出版した『遠帆楼詩鈔』において広瀬淡窓が「余は最もこの詩の転結を愛す」と評した蔵園雑詠中の五言絶句が筆頭に掲載されている。

    松風窩    松風窩
矯屋田園裏 矯屋 田園の裏
疎籬野水東 疎籬 野水の東
功名是何物 功名 是れ何物ぞ
濶鈬繽シ風 閧ゥに臥して松風を聴く

 松風窩とは醒窓の書斎の名である。 詩文によって名利を離れた彼の人柄と当時の蔵春園の情景を想像することができる。

 蔵春園には醒窓を中心とする門人達との蔵園詩壇があって、「遠帆楼」という三階建ての楼閣においてたびたび詩会が催された。当時、詩壇はかなり活発であったことから門人達の詩文をまとめた『蔵園同社詩鈔』等、かなりの詩集が出版されている。

 彼の初めての詩集には、とくに一章を設けて、愛弟子22人の詩を十首ずつ載せている。これだけでも、愛弟子を思いやる醒窓の心優しい気持ちを感じるのである。

 醒窓はこよなく漢詩を愛しつつ地方の教育者として、名利を離れひたすら子弟の教育に心血を注いだのである。彼は純朴で謙虚な人柄によって多くの人々に慕われた。そして何よりも酒を愛し、訪ねる客を分け隔てなく歓迎したという。

 醒窓は文久元年(1861)病に倒れ、同年5月3日、59歳で死去した。謚して「温恭先生」となった。蔵春園は醒窓の詩集の編纂をした高弟の別府穀窓が後見人となり息子の精齊が受け継いだ。そして明治11年(1878)には私立蔵春学校と改称され、醒窓と精齊二代にわたる私塾教育は実に70年余にも及んだのである。

 私は歴史や漢詩を愛好し、とくに福岡藩校甘棠館の祭酒であった亀井南冥と嫡男、昭陽の流統に連なる広瀬淡窓、原古処、その娘采蘋などの郷土の漢詩人について深い関心を持っていた。さらに10年前に縁あってその流統につらなる郷土の碩儒、醒窓の末裔である恒遠俊輔氏(福岡県求菩提資料館々長)と知り合い、醒窓の詩集の存在を知った。

 そして二松學舎の二松詩文同人であった故清水怡莊先生をはじめ、多くの先生方の懇切なるご指導とご支援によって、醒窓の『遠帆楼詩鈔』を校註出版することができた次第である。

 この詩鈔が昨今の殺伐とした世相のなか、教育における詩の効用を見直すきっかけともなり、あわせて古文辞学派の学統を継ぐ醒窓の詩集が一人でも多くの人達に愛読されることを願うものである。