(2007年01月01日)

船頭小唄で起承転結考

窪寺貫道氏の論を読んで
増田 泰之

 絶句における起承転結とはいかなることか。これを誰もが正しく理解できるように説くことは、なかなか難しいようだ。

 折も折、会報第13号に掲げられた、窪寺常務理事による「日本唱歌の歌詞にみる起・承・転・結」の高説を、大いに関心をもって読んだ。同理事は、鉄道唱歌を一例として懇切に説いておられる。

 また浅岡監事は、同じことを説くのに、「カステラ一番、電話は二番云々」の歌を使われるともあり、これまた肯綮にあたる。昔時頼山陽が俗謡をもって説いたごとく、今時の諸先生もそれぞれ工夫をこらして、後進を指導しておられることと拝察する。

 そこで、私はここに2つの俗謡を示し、もって会員各位のご検討に供したい。

船頭小唄(野口雨情作詞)

 おれは河原の枯れすすき
 同じお前も枯れすすき
 どうせ二人はこの世では
 花の咲かない枯れすすき

ズンドコ節(作者不詳)

 一年前には知らなんだ
 半年前にも知らなんだ
 若い二人がいつの間に
 こんなになるとは知らなんだ

 毎句、起承転結の働きをしていると思うが、どうか。なお、船頭小唄にあっては「き」の音でズンドコ節にあっては「だ」の音で押韻していると思われる。この2つの歌を同時に示せば、押韻についても容易に説くことができるのではないかと愚考する。

 以上は、私が特に心がけて探したのではなく、数年前たまたま気づいたに過ぎない。これが絶句の形式・構成を説く上で用うるに足るや否や、全員各位のご一考を煩わしたい。

 船頭小唄を漢詩にしてみると──

  枯れた真菰に照らしてる 枯菰今夜影分明
  潮来出島のお月さん 十二橋邊素月清
  わたしゃこれから利根川の 刀水滔滔流不盡
  船の船頭で暮らすのよ 扁舟一櫂託殘生