(2007年08月15日)

<文壇こぼれ話F>

取れなかった原稿C 古在由重さん
常務理事  岡崎 満義

 「おかしな娘/ヒゲがはえている/おかしな娘/よくたべる/おかしな娘は/なまけもの/おかしな娘は/かんがえる/地球のことを/かんがえる……/男は男であるがゆえに/女でありうるかもしれない/それよりもっともっと/むずかしいことを/考えるそれで/ヒゲもはえるし/それで/おなかもへろうというものだしそれで/つかれて/ねてしまう」(古在直枝遺稿集「おかしな娘」

 古在直枝さんは唯物論哲学者・古在由重さんの三女。昭和41年夏、24歳で千葉の海で遭難死した。1年後、古在さんは娘の遺稿集を200部つくり、知り合いに配った。そのことを書評紙で知って、私は古在さんを訪ねた。

 「誰でもそうかもしれないけれど、とりわけぼくは肉親の死に弱いんです。いろんな勉強をしてきたが、そこに盲点がある、とずっと思ってきました。直枝は早大東洋史に進んだのですが、途中でマスプロ大学は面白くない、と辞めて、ケースワーカーの勉強をしました。亡くなった後で勤め先の医長さんから、直枝さんには自閉症の子供たちがよくなついて、ちょっと天才的なところがあった、と言って下さった。天職を見つけていたんです。

 夏休みに学生が私の別荘で勉強会をやりたい、と言ったのを聞いて、直枝は『私も食事なんか手伝ってあげるから一緒に行ったら。今の学生は先生との交流が少ないから、ぜひやったら』と千葉へ行ったのです。帰る日の朝、少し時間があるから、と学生たちと泳いでいるうちに、速い潮に流されてしまって……。

 実は、私の弟も海で失っているんです。戦時中、会社に6人徴用令がきた。そのうちの妻子ある1人が、深夜、独身の弟をたずねてきて、代ってもらえないかと相談したそうです。弟は電話で私の意見を求めてきました、私なら代わる、と答えたんです。それで決断がついた、と弟は徴用されて、フィリピン沖で乗った船が爆撃をうけて沈没したのです。

 笑われるかもしれないけれど、ぼくは霊魂不滅主義者なんです。霊魂は不滅のものにしなくっちゃ、と思うんです」

 本や雑誌がうず高く積み上げられた居間兼応接間の隅に、簡素な仏壇があった。直枝さんの写真と馬や女の子を形どった泥人形がたくさんそなえてあった。その前で古在さんは涙を流した。眼鏡をはずさずに、手近のメモ用紙を眼鏡の下からさしこんで、何度も涙を拭き、煙草を吸った。

 「60年安保闘争で亡くなった樺美智子さんのご両親が同情して、よくたずねて来てなぐさめて下さいました。同じ年頃の娘を亡くした気持ちが通ずるようでした。ありがたいことでした。でも、ぼくはまだダメなんです。あの詩集は長女が編集したんですが、もうこわくて最後の一篇をのぞいて、いまだに読めないんです。男は弱い。ほんとうに弱いものですね。直枝のことを書くと完全に直枝が過去の人間になるような気がするし、どうしようかなあ……」

 と古在さんはいい、しばらく考えさせてほしい、ということになったが、結局、原稿は出来上らなかった。