(2008年02月15日)

金陵酬唱─中山陵に謁す

南京暁荘学院大学  水出 和明

 「江南華麗地 金陵帝王州」と歌われるように、古来南京は王城の地で、三国時代の呉から中華民国に至るまで、十種の政府の首都であったため、十代故都とも呼ばれています。秀麗明媚な風光に恵まれた上に、文物史跡も豐富で、昔から幾多の名だたる文人墨客が勝遊を楽しみました。本稿では、無数の勝地のうち、南京城東の中山陵を御紹介したいと思います。

 中山陵は孫文の陵墓で、松柏鬱然たる紫金山の南麓に築かれています。八萬?の墓域には博愛牌坊、石階、陵門、碑亭などがあり、最奥部の祭堂に孫文の遺体が安置されています。 周知の如く、孫文は近代中国建国の父で、1年間で首相を辞めてしまう、どこかの国の政治家とは全くスケールの違う大人物です。

 ただ、革命遂行にあたってはなみ大抵の苦労ではなく、ハワイでは興中会を、日本亡命中には中国革命同盟会を結成したりして、文字通り海外に奔走しました。

 なんとか清朝打倒には成功したものの、「大皇帝」が去った後には「小皇帝」の軍閥がのさばるばかりで、真の意味では三民主義を実現できず「革命なお未だ成らず」という無念の言葉を殘して北京にて長逝しました。

 遺体は、1929年に南京に運ばれ、同年6月に奉安大典が挙行されました。大革命家の眠りが安らかであることを祈るばかりです。

王老師の風韻ある高作

 この中山陵を詠じた作品は数多く殘されていますが、ここでは南京詩詞学会会員で、同会機関誌「南京詩詞」の主編である王宜早老師の作品を御紹介致します。

 王老師は、私が現在勤務している南京暁荘学院大学の書法家で、私如き若輩を相手に、にこやかに詩の応酬をして下さる大人です。老師の風韻ある高作を御鑑賞下さい。

    謁中山陵  中山陵に謁す    王 宜早
直上萬松頭 直ちに上る 万松の頭
憑欄豁遠眸 欄に憑って 遠眸を豁く
際天疊浪 天に際く 青畳浪
滿目翠浮樓 目に満つる 翠浮桜
絡繹長階客 絡繹たり 長階の客
聯翩四海? 聯翩たり 四海の鴎
可聞鐘擺響 聞くべし 鐘擺の響きの
?鞳震神州 ?鞳として 神州を震わすを

(下平十一尤韻)

次に分不相應にも私が次韻した腰折れを、恥ずかしげもなく御紹介致します。

次韻王老師玉作、併憶孫中山
王老師の玉作に次韻し、併せて孫中山を憶う  水出 和明
參詣紫金山曲頭 参詣す 紫金山曲の頭
滿林翠告雙眸 満林の翠緑 双眸を洗う
敬光復業拝陵墓 光復の業を敬いて 陵墓を拝し
稱革命功朝廟樓 革命の功を称えて 廟楼に朝す
中外驅馳如躍馬 中外に駆馳して 躍馬の如く
東西奔走似翔? 東西に奔走して 翔鴎に似たり
三民主義長無滅 三民主議 長えに滅ぶこと無く
國父威名垂九州 国父の威名 九州に垂る

 拙作では、頷連が1・3・3の構成ですが、これは敢て破格を試みたものです。

 尤もそれが成功しているか否かは別問題で、やはり不自然さを免れないかも知れません。

 むしろ問題は、頷連と頸連との関係性で、「謁中山稜」という詩題である以上、孫文の事績を詠ずるのは当然とはいえ、詠み込みすぎて両連がつきすぎという難点があります。私如き未熟者には律詩はまだまだ尚早ということでしょう。

 いずれ作詩の達者である全日本漢詩連盟の皆様が、南京詩詞学会の皆様と吟行しつつ、詩を唱和しあって、金陵清遊をともにできれば、近年稀な文事となることは勿論、必ずや中・日文化交流にも大いに資することとなるでしょう。その雅集の実現を楽しみに致しております。