(2008年05月16日)

<文壇こぼれ話I>

取れなかった原稿F 林 達夫さん
常務理事  岡崎 満義

 林達夫さんは平凡社の世界大百科辞典の編集責任者だったと聞いていた。西洋文化史の大御所。それだけではない。昭和20年代には文藝春秋に「ちぬらざる革命」「共産主義的人間」など、鋭い政治論文も載せている。昭和31年にソ連のフルシチョフ第一書記が「スターリン批判」を発表して、世界をアッといわせたが、林さんはその数年前に、すでに同じことをやっているのだ。

 恐るべき時代への透視力。そういう透視力を持った人は、対象が文化であろうと政治であろうと、底の底まで見透してしまうのだ、とよく分った。

 昭和49年頃、久しぶりに原稿用紙5枚の巻頭随筆を書いてもらおうと、藤沢市鵠沼の林さんの家を訪ねた。

 「風邪が抜けなくて……」と、和服姿であらわれた林さんは、それでも応接間に通してくれた。九州のキリシタン大名がバチカンへ派遣した天正の少年使節団の足跡を追って、近々作家の三浦哲郎さんと、ポルトガル、スペイン、イタリアへ取材旅行に出かけます、と言うと、林さんは書庫から何冊か参考書をもってきて、三浦さんに読ませてあげて下さい、と、思いがけない親切をいただいた。

 雑談のついでに出た話なので、何を期待していたわけでもなかったが、林さんの知的好奇心を少し刺激したようで、思わぬ賜物をいただいたような、うれしい気持になった。

 「今日はよく晴れて気持がよさそうだから、庭で話をしましょう」

と、林さんは庭へおりた。

 そこは50坪くらいあったろうか、庭というより畑だった。戦時中、軍部や警察からにらまれて、まともな執筆活動ができない時期に、林さんは園芸雑誌に「鶏を飼う」「作庭記」など、いわゆる“思想”的論文からはなれた文章を書いて糊口を凌いでいたのだが、そのおおもとがこの庭だった。

 脇のベンチに坐って話をつづけたのだが、何となく坐り心地に違和感がある。大きな丸太を荒く削ったような、ガッシリしたベンチなのだが、その表面に小さな石や砂粒のようなものが、たくさんめり込んでいるのだ。

 「これ、なんですか?」

 「わかりませんか」

と、林は実にうれしそうな、よくぞ聞いてくれた、という顔になった。

 「これはね、小田急線の枕木ですよ。何年かに一回、枕木を新しくするとき、古い枕木が出るのでそれを払い下げてもらい、ベンチに作ったんですよ」

 林さんは「私は一個の貧しきエピキュリアンにすぎない」と、どこかに書いていたが、ベンチのタネ明かしをしたときの顔が、まさにエピキュリアンの顔だと思った。

 「横浜市が先頃、市電を廃止したとき、軌道に敷かれた大理石が払い下げになるはずだと思い、電話してみたのだけれど、横浜市交通局は一括してさる業者に払い下げて、一般の小口には払い下げない、と残念ながら、これは手に入らなかったな」

 林さんは本当に残念そうな表情を見せた。

 そんな林さんを見ながら、思想家としての林達夫は書物の世界だけでなく、こういう手触りのあるモノの世界の住人であることを知った。思想が独特のモノで裏打ちされている!

 林さんは昭和23年に書いたエッセイの中で

 「追っ払われる蠅、追われても又してもたかってゆく蠅それが編集者なのだ。思えば文筆家と編集者との協力とは、奇妙なものである。無理往生させるつらさと、無理往生させられる不愉快さ現代ジャーナリズムは大半こうした秘められた反目の協調によってその命脈と体面とを保っているのである」

 私は林さんに対して「追われても又してもたかってゆく蠅」に十分にはなりきれなくて、ついに原稿は取りそこねてしまった。