(2008年07月01日)

<文壇こぼれ話J>

原稿、原稿用紙あれこれ
常務理事  岡崎 満義

 ワープロやパソコンが普及して、原稿をもらったときの楽しみが減ったように思う。作家がどんな字を書くか、どんな書き方をするか、そこから作家の心が垣間見えるようで、手書き原稿を受取る楽しみは大きかった。

 野上弥生子さんの東大震災についての随筆をもらったことがある。どこにも書き直した跡のない、きれいな原稿用紙5枚であった。よく見ると、ところどころ、原稿用紙の桝目に1字、ときに2、3字分、キチンと紙が貼ってあり、その上に文字が書かれていた。服の破れた個所に布をあてて、きれいにつくろった、という感じだった。いかにも明治の女性、という感じで、胸にジンときた。

 原稿用紙そのもので驚いたのは、山本七平さんのものだった。自分専用の原稿用紙をもつ作家は多いが・山本さんもA4の特製だった。ふつうのものとちがうのは、左端に100字分ほどの、やや小さい桝目がつけられていることだ。一度書いた原稿を読み直して、書き加えることがでたとき、そのスペアの桝目にキチンと書くのが山本流であった。そして、そのスペアの桝目に文字が入っていないことはまずなかった。

 だから、山本さんの原稿は、いつでも頼んだ枚数の2〜3割増しの分量になった。スペアの桝目、というのがご自身も他人の原稿で苦労した出版編集者でもあった山本さんらしい工夫のしどころだった。

 司馬遼太郎さんの原稿は、なぜか桝目と関係なく、小さい字が400字詰原稿用紙の4分の3ほどを埋めている。それも左に進むにつれて少しずつずり下がってくる。それでも編集部で書き直してみると。ちゃんと400字になるのがふしぎだった。頭の中にもう一つ別の、左下がりの桝目の並ぶ400字詰原稿用紙があるようだった。

 司馬さんの初校ゲラ刷の直しは、まことにカラフルなものだった。赤、青、緑などの太目のマジックペンで、消したり書き足したり、カラーのふしぎな絵模様、図形でも見ているような気がした。

 原稿料はほぼ枚数計算になる。あるとき、ショート・ショートの名人・星新一さんから、原稿科は枚数だけで決めずに、内容も見て支払ってほしい、と異議の手が上った。ショート・ショートは枚数は短くても、苦労は長篇小説を書くのとかわらない、というもので、もっともな主張であった。

 いつだったか、同じ1枚でも、400字ギッシリの1枚と、会話体でしかも「・・・・」のやたら多い原稿の1枚とはちがう、と問題になったことがあった。

 たしか、阿川弘之さんが「・・・・」の多用が許されるなら、タテに400字の桝目を並べて超タテ長原稿用紙をつくって、「・・・・」で行変えすれば、いくらでも原稿料がかせげると言い、大笑いしたことがある。

 原稿が遅いことで有名なのは井上ひさしさんで原稿用紙にちゃんと「遅筆堂」と刷りこんである。

 五木寛之さんも売れっ子時代は遅かった。しかも、車好きの五木さんは、車を駆って神出鬼没、カン詰にしようにもつかまえられない、小説雑誌には挿絵が入る。ふつうは画家に原稿を読んでもらって、挿絵を2、3枚描いてもらうのだが、五木さんはその時間的余裕がない。「絵組み」といって、小説に出てきそうなシーンを電話で聞き、それを画家に伝えて描いてもらうのだが、実際に原稿が出来上がってみると、そんなシーンは出てこない、ということもしばしばあった。

 五木さんの挿絵には人物は出さない象徴的な花や風景でお茶を濁す、のがならいとなった。