(2008年11月15日)

娘に素敵な日本語の継承者になってもらうために……

なぜ『素読・論語全集』DVD版を作ったか
ボウ・カンパニー・インターナショナル代表  中嶋弓子

 このたび『素読・論語全集』を完成し、販売へとこぎつけた。DVD10枚と白文の全文テキストを付けたDVDセットである。

 そもそも私は中学生の頃から国語に苦手意識があった。学校でも受験でも、国語が「嫌」だった。殊に、古文、漢文となると、最初から白旗を上げた。
 数学も英語も得意科目だったのに、なぜ、国語が苦手なのかと問われたが、結局逃げるだけでことを済ませた。しかし、その後も、この国語劣等感は、どこまでもつきまとってきた。

 米国の大学院に留学し、国際関係や国際史を専攻する中で、優れた日本研究者(ジャパノロジスト)たちの存在を目の当たりにした。
政治史にとどまらず、社会史や精神史といった歴史のひだにいたるまで、私よりはるかに知識のある人たちがいた。私は、英語が流暢になってくる一方で、自分の日本についての知識の乏しさに愕然とし、日本語の基盤が確固としていないことに危機感すら覚えた。

 留学や海外に出た者の多くは、少なからず自分が誰なのか、日本人とは何なのかを問う経験をもつと思う。私の場合、自分は日本人である、と表明するには、足もとがあまりに脆弱なことに気がついた。知識は学べば多少は補えるだろうが、骨身にしみついた日本語の骨格が危ういのだ。日本人たる根幹は日本語にある、という言説に私は同意する。
その日本語に、自信が無いのだ。その核心は古典・漢文が全くわからないことにあるのではないか、と思うようになっていった。物事、気がついたら、そこから努力を始めれば良い、と言われるかもしれない。だが、時すでに遅し、とあきらめていた。

 そこに、飛んで火に入る夏の虫が現れた。娘の誕生である。この子には、日本人でありながら、国語が苦手、なんて悲しいことを言わせたくない。環境が大きくものをいうのだろうから、美しい日本語に積極的に触れさせたいと思い、言語環境に配慮してきた。
幼い頃から日本語の根っこに栄養を与えていく必要がある、と私は勝手に思っている。この仮説が正しいか否かは、娘の成長とともに実証されるのではないか、とも思う。

 そして、かつて日本の子弟に施された漢文の素読という手法に行きついた。世に功績を残した日本人が、幼い頃からお父さんやおじいさんに『論語』の素読を手ほどきしてもらっていたという指摘を興味深く思った。
 21世紀の教育法として、論語の素読、というのは時代錯誤と言われかねないが、もし科学的根拠を、と言われたら、少なくとも音読や親子のコミュニケーションの頭脳への効用データを参考にしたい。

 いずれにせよ、音読なり素読を、家族と一緒に楽しく進めることができれば御の字ではないか、と考えた。

 さて、論語を素読する、といっても、誰が読んであげるのか、今や、それができる人は稀有な存在である。「おじいさんが読んでくれた」というのは遠い昔の話。であるならば、読み方を教えてくれる教材をつくるしかない。
 DVDで論語の原文を次々に画面に出して、しかるべき方のお手本読みを聞くことができるデジタル版の寺子屋。それほど時間をかけずに、よい材料ができるだろうと考え、岡崎氏に相談し、監修に二松学舎大学の竹下(牧角)悦子氏をご紹介いただき、ご快諾いただいた。

 ところが、制作の過程はそれほど甘くはなかった。「論語」に限らず、漢文にアレルギーのある私と、今時の若いスタッフが繁体字の原文画面をつくるというのは、ワープロで日本語を簡単入力するのとはわけが違った。原文だけで、800枚を超える枚数。映像用のソフトウェアーなので、画像処理にしても、そのあとで、お手本の声を焼き付けるにしても、1ページの制作に膨大な時間を要してしまった。
最初の1年かけて入力した画面は、結果、技術的に使えないことがわかり、廃棄処分にするしかなかった。すでに年月と経費をかけてきた道半ばで身動きがとれなくなってしまった。

 窮すれば通ず。デジタル分野に明るいスタッフが新しい発想で、窮状を乗り切る案を出してくれた。そうならばなったで、白文を読むだけでは不十分だから、読み下し文の画面をつくることにした。
さらに、その読み下した文にも振り仮名をつけないと、となって、次から次に仕事がふえた。結局、現場はまた徹夜の作業の繰り返しに陥ったが、ともかく、念願の完成へとこぎつけた。販売についても協力してくださる会社が現れたことで、最後の踏ん張りに加勢した。途中、監修の竹下先生をはじめ、係わってくださった方々には、いろいろとご迷惑をおかけしたが、何とか足かけ4年のプロジェクトは完成に至った。

 私の漢文嫌いを克服するためにも、娘に素敵な日本語の継承者になってもらうためにも、親子で論語を素読する実験を開始しようと思っている。そして多くの人に活用していただけるように念願している。