(2009年08月15日)

地方の大庄屋の素晴しさ

「別府穀窓漢詩稿集」を校註出版
福岡県漢詩連盟会長  三浦 尚司

 別府氏は豊前国の小倉・小笠原藩において代々・手永[てなが]大庄屋を務めた家柄であった。

 穀窓[こくそう]は、文化十年(1813)に豊前国上毛郡三毛門[こうげぐんみけかど]村で生れた。諱[いみな]は義実[よしざね]、字は子従、通称廉平[れんぺい]、穀窓を号とした。豊前の漢学私塾「藏春園」に学び、塾主、恒遠醒窓[つねとうせいそう]に最も愛された高弟であった。

 彼は天保九年(1838)に豊前小倉藩の支藩であった小倉新田藩(千東藩)の領地であった上毛郡の岸井手永十三ヶ村の大庄屋となった。そして職に在ること二十余年間におよび、すこぶる徳政があったという。

 小倉藩は領国を完全に掌握し、地方支配を確実にするためには由緒あるものを惣庄屋(大庄屋)に取り立てた。そして十数か村をまとめる行政区画が手永と呼ばれた。

 漢学私塾の記録『豊前薬師寺村恒遠塾』によれば、「穀窓は博学多識・和漢文、歴史の記録、書物、史書等いわゆる史乗に精通していた。作詩は精妙にして人の意表をつき、能く人の言わざる所を言う」とある。醒窓の漢詩集『遠帆楼詩鈔』の前編の編集にもたずさわった。

 その人となりは、その名のごとく義を重んじ醒窓が没するや、師の遺言により息子の精斎の後見人となり家政の整理に当った。

 明治17年(1884)、72歳で没した。

 幕末当時の地方の大庄屋がこれほどの漢学知識を持った詩稿を残している。改めて学識の深さに驚くばかりである。