(2009年08月15日)

<文壇こぼれ話N>

「荻賢ホテルのこと」
常務理事  岡崎 満義

 原稿取りで記憶に残っているのは、漫画家の荻原賢次さん。ご自宅は都内杉並区にあったが、なぜか「荻賢ホテル一泊旅行」となった。

 夕方、6時頃、荻原さんの家へ伺う。奥さんに案内されて応接間に入る。夕刊など読んでいると、「夕食ができました」と、お膳が運びこまれる。豪華な肉料理中心で、ビールの大ビンが一本つく。

 食べ終った頃、また夫人が「お風呂がわきましたからどうぞ」と声をかけてくれる。風呂場のカゴの中には、タオルと浴衣が用意されている。風呂から上がって応接間へ帰ると、ソファは簡易ベッドに早変わりしている。枕元には水差しとコップもある。

 テレビを見たり、本を読んだり、11時頃に荻原さんに催促の声をかけて寝る。朝7時頃に目を覚ますと、荻原さんの漫画が出来上がっている…という次第。

 いつ頃から「荻賢ホテル」宿泊の習慣が出来たのか知らないが、私が最初ではなかった。

 荻原さんはとにかく編集者がそばにいてくれて、せっぱつまった雰囲気がないと、漫画が描けない、と苦笑する。しかも、仕事は夜型、その条件を満たすためには「荻賢ホテル一泊」方式しかないのである。

 さし絵の宮永岳彦さんの家に行くと、これもだいたい夕方で、「もうすぐ出来るから、それまで酒でも飲んでいてよ」ということになる。ここではウィスキーのボトルと氷と水が出てきた。

 ときどき、「絵の方はいかがですか」と宮永夫人に声をかけるのだが、これも「もうすぐです」という返事。夫人と話をしているうちに酒のピッチはどんどん上り、ついにソファで一泊、ということもあった。

 これは自分で勝手に「宮永ホテル」をつくるようなものだった。

 作家が講演会などで旅に出るとき、その旅先まで追いかけて行くこともよくあった。

 井上靖さんの原稿取りでは、三重県尾鷲市まで夜行列車に2泊して往復した。FAXのある今では考えられないことだ。三等寝台で原稿を抱えて寝たものだ。

 この原稿取りと印刷所の出張校正でのゲラの読みあわせが、新人研修であった。あとは先輩を見よう見まねするだけ、という乱暴な編集者修行第一歩だった。

 松本清張さんの原稿取りで、井の頭線浜田山駅近くの家に行く。原稿を渡されて編集部に帰る電車の中で、ザッと原稿を読んで感想をまとめておかなければならない。

 会社に帰った頃をみはからって、清張さんから電話がかかってくる。「今月のはどうかね?」清張さんのような大作家が、なぜそんなに原稿のことを気にするのか、初めはふしぎだったが、原稿を最初に目にする編集者を読者代表として考えていたようだ。その習慣は最後まで変わらなかった。