(2009年11月15日)

漢詩は数字を駆逐する

竹中淑子

 漢詩と数字は、対極に位置するように思われていますが、創造するという観点からも共通点はあります。“数学は情緒である”とまで言った数学者(岡潔氏)もあります。

 そんな話をしていたら、「では、フェルマーの定理の証明には情緒はありますか」との質問を受け、一瞬、返答に窮しました。確かに一片の情もないというのが一般的でしょう。しかし、あとになって、次のような答え方もあったなと気が付きました。

 解析的整数論の数学者G・H・ハーディは“数学者は画家や詩人と同様、様式(パターン)を作る。画家は様式を形や色で、詩人は言葉で表わす。数学者は、概念・内容(アイディア)の織り成す様式を作る。どの様式も美しく、互いに調和して全体を形作らなければならない。美が第一である。”

と、自著に書いています。

 となれば、フェルマーの定理の証明は、まさに極上のアイディアの織り出す様式です。情緒ももちろん入りますと。

 漢詩を作りはじめて二年程です。湯島聖堂の斯文会で、窪寺先生の添削を受けると、みちがえるようないい詩になることを知りました。“名工の一刀”にも似た“窪寺先生の一筆”というところでしょうか。もっとも、私の場合は一筆ではすまず、二筆、三筆といるようです。

 今、私の書棚に異変が起きかかっています。数学書の上に、漢詩・漢文の書がどっさり。グレシャムの法則によれば、悪貨が良貨を駆逐するのですから、漢詩が悪貨で、数学が良貨ということになりますか。そこで一首。

   書齊即事
方程欲解一書生 方程解かんと欲する一書生
今愛月花?鷺盟 今 月花を愛ずる?鷺[おうろ]の盟
誰謂格言箴悪貨 誰ぞ謂う格言 悪貨を箴[いまし]める
詩驅算術架頭爭 詩 算術を駆って 架頭の争い