(2010年08月15日)

創業138年の富岡製糸場を詠む

異郷の地にたおれた若い工女を思う
群馬県漢詩人協会会長  関 篁風

 日本近代化産業の濫觴である官営富岡製糸場は、明治新政府が日本近代化のため富国強兵殖産興業を重点施策として積極的に推進し、設置されたものである。

 「木骨レンガ造」の東西の繭倉庫(長さ一〇四米)、同じ造りの操糸場(長さ一四〇米)は巨大な建物群であり、全国から集った404人の若い工女の就業は、当時でも世界最大規模を誇っていた。

 経営は明治5年(1872年)の創業から現在まで138年、官営富岡製糸―三井製糸―原製糸―片倉製糸(昭和62年操業停止)―富岡市と激動の時代に変遷した。

 和洋折衷の日本最古の富岡製糸場の建物が損壊せず現存し、片倉製糸工場が昭和六二年操業停止するまで115年間、連綿として同一産業形態が継続した事は注目に価する。当然、国の重要文化財であり、また、世界遺産暫定リスト登載も「宜なる哉」である。

 私はこの製糸場の解説を平成八年から行う。

  富岡製絲場書懷  富岡製糸場書懐
如屏巨構既無倫 [へい]の如き巨構既に倫[りん]無く
盛業百年天下振 盛業百年 天下に振う
變易多岐説興癈 変易多岐[へんえきたき] 興癈を説けば
斜暉留壁倍傷神 斜暉[しゃき]壁に留まり
 倍[ますます]神を傷ましむ

 404人の若い工女達には、先進的なヨーロッパ方式が取り入れられ、恵まれた労働環境の中で就業した。日曜制は明治政府に先駆けており、夏休み・冬休みもあった。労働時間は夏は長く、冬は短い(一日約八時間)。健康を害すれば仏人医師が無料で治療に当った。

 異郷の土地に馴染めず、また心労等により、重篤な病気になり医師の治療も空しく、青春を終えた工女も居た。市内龍光寺には、官営時代の工女四十余名が埋葬されている。

  題官営富岡製糸場工女墓  官営富岡製糸場工女の墓に題す
病痾工女是何因 病痾[びょうあ]の工女
 是れ何に因[よ]るものぞ
異域春魂夢淪 異域の青春魂夢[こんむ]を淪[しず]
苔墓留怨作行建 苔墓怨みを留めて行を作[な]して建つ
松楸影冷坐哀人 松楸[しゅうしゅう]
 影冷ややかに坐人を哀しましむ