(2010年08月15日)

井上ひさしさんのこと

<文壇こぼれ話R>
常務理事  岡崎満義

 自ら原稿用紙に「遅筆堂」と刷り込んでいることからも、井上さんの原稿がいかに遅かったかが分かる。小説を書き始める前、NHKの「ひょっこりひょうたん島」という人形劇の脚本を書いていた頃から、筆の遅いことは定評があった。

 昔は脚本が書き上がると、出演者に渡すためにガリ版屋さんに回わる。その時間がなくて、井上さんは自分でガリ版に向った。そのため、文字はまことに読みやすい丸文字風で、乱れることはまったくなかった。

 昭和47年頃、「オール読物」にいた頃、井上さんとマンガの赤塚不二夫さんの二人の天才の競演を考えた。題して「ひさし笑劇場」。井上さんに原稿用紙七、八枚のショート・ショートを書いてもらう。

 ふつうならその原稿を読んでもらって、さし絵を描いてもらうのだが、それでは当たり前すぎる。たとえば「釘」という題名だけを二人で決めてもらい、それぞれ自由に文章とギャグ漫画を書いてもらった。そのやり方が新鮮だったのか、お二人はリラックスして作品を仕上げてくれた。

 昭和57年頃、新潮社の月刊読書PR誌「波」の表紙は、毎月一人ずつ、作家が短い言葉を書いていた。ある月、井上さんが登場して「たった一つの大きなウソを信じてもらうために、百の事実を集める」と書いていた。心が騒いだ。

 というのは、月刊文藝春秋が創刊された頃、その巻頭随筆に芥川龍之介の「侏儒の言葉」が連載され、評判になった、と聞いていた。そのむこうを張って、井上ひさし「道化の言葉」ができないだろうか。笑い、ユーモアのオブラートに包んで、キラリと光る人生のチエを、短い言葉で紡いでもらう。

 早速、井上さんに相談をもちかけると、「ぜひやらせて下さい」と、二つ返事でOKとなった。そうなると勉強家の井上さんは神田の古本屋に頼んで、古今東西の諺、箴言、詩、ジョーク集、…などを集めに集めた。資料の重さと勉強のしすぎが仇になったのか、この企画はついに陽の目を見ることはなかった。

 大魚を逃した、という気分が今も残っている。