(2005年10月01日)

第2回 空海「二荒山碑銘」
「土人、なんじが如きは稀なり」

美しい景観と自然の音楽に心を遊ばせる
全漢詩連運営委員  綾部 光洲

もっとも古く信頼できる文献

 栃木県日光市は、世界遺産を有する景勝の地ですが、その中禅寺湖のほとり、二荒山神社中宮祠境内の、男体山登山口の鳥居脇こそ、弘法大師空海が撰書した「二荒山碑銘」が立っていたとされる跡地です。(写真1)



写真1 二荒山神社「二荒山碑銘跡地」に立つ筆者

 この碑銘こそが、霊地日光についてのもっとも古く、もっとも信頼できる文献です。苦難の果てに聖地二荒山を切り拓いた勝道上人(735〜817)が人を通じ、41歳の空海(774〜835)に碑文の撰書を求めたのでした。

 写真2は、かつて件の場所にあった重修の銅板碑で、現在日光山輪王寺(勝道上人の開創)の宝物殿に収蔵されています。



写真2 銅版碑の一部

 碑銘は本文約1500字、また四言詩が全五首あり、律詩四首と十二句の詩一首からなっています。天地開闢から説き起こした一首に続くのが、つぎの第二詩です。

一塵構嶽  一滴深湖  埃涓委集
畫飾神都  ?崟不梯  ??無圖
皚々雪嶺  曷矚誰廬

(平声虞韻)

(一塵嶽を構え 一滴湖を深くす 埃涓委り集まりて神都を画飾す
?崟として梯せず ??図ること無し
皚々たる雪嶺 曷か矚、誰か廬せん)

 このように、二荒山(のちの日光山、すなわち今日の男体山)や中禅寺湖の生成と峻厳さをうたったのちに、勝道上人が登場し、「帰依観世(従来帰依観音とされてきましたが、平仄を調べれば、観世のほうが正しいことがわかります)し、釈迦如来を礼拝し、直ちに嵯峨の境に入り、二荒山を踏破したことを活写します。

 そして夢見るような、厳しくも美しい景観と自然の音楽に、心を遊ばせます。すなわち、

「山また崢エたり 水また泓澄たり
綺花灼々として異鳥嚶々たり」

という法悦境を描写し、その神秘的な世界を評し、

「人間に比なし 天上にむしろ儔あらん」

と締めくくります。

 緊迫感と気高さにあふれる「土人、なんじがごときは稀なり」と唐の漢詩人馬聰をして感嘆せしめ、上陸した直後から「五筆和尚」の伝説を唐土にまきおこした空海の漢詩は、亡失した『性霊集』巻五以降におびただしい量があったはずですが、今日では知るすべがありません。

 数少ない漢詩のなかでも、よく知られる七言絶句よりも、宗教的な教義書中の偈(マントラを思わせる深遠さには感服するばかりです)や、碑銘中の四言詩等に、より大きな才能が開花していると、私には思われます。

 ことにこの本文、漢詩ともども、自らも言語に絶する山林斗薮をしぬいた空海にして成しえたる、珠玉の名文であり、緊迫感と気高さにあふれた、叙事詩の傑作と感じます。

 なお写真3は、京都醍醐寺にある模本で、かつて検討の結果、空海の原文の状況にもっとも近いことを論証したことがあります。



写真3 京都醍醐寺にある模本

 書法がマントラの反映であることを自覚したかのような記念碑的な空海書法を物語りましょう。

 弘法大師空海が恵果から密教を受法して1200年を迎える今日、空海の漢文と漢詩のことばの力を思い起こさずにはいられない、6月の日光の旅でした。


 書法がマントラの反映であることを自覚したかのような記念碑的な空海書法を物語りましょう。

 弘法大師空海が恵果から密教を受法して1200年を迎える今日、空海の漢文と漢詩のことばの力を思い起こさずにはいられない、6月の日光の旅でした。