(2004年10月01日)

〈福岡県〉

文化3年「西都雅集展」と筑前亀井塾
有吉 巍

 11月に国文祭2004が開かれる太宰府には、1806年秋月黒田藩主長舒[ながのぶ]侯が藩校教授の原古処と定例出講の亀井昭陽に命じて、「西都雅集展」を太宰府天満宮に於て開かれた記録があります。

 藩主、二公子ほか福岡、秋月両藩の学問、文事を嗜む武士、学者、在野文人101名の漢詩書画が出展されて会者180余人、亀井南冥孫娘の友(9才)の行書一行も採用されて秋月侯より激賞され、ご帰館に伴われて秋月に於て縮緬帯を拝領したという話が伝わっています。後年「君無王上点、我為出頭天」と贈られた絶句に対しての遣り取りで有名な才媛少?[しょうきん]の幼き日の姿でした。

 江戸後期の黒田藩では、東学問所(修猷館・朱子学派)と 西学問所(甘棠館・徂徠学派)が設けられ、亀井 南冥が西の総受持で、東に入門出来ない他藩の武士や向学の若人に、その個性を啓発して才能を伸ばせる実践教育で優れた門弟を育て上げ、広瀬淡窓、村上仏山、恒遠醒窓塾など明治初期まで活躍する私塾が輩出しました。

 残念にも、西学問所は大火類焼で廃校になりましたが、亀井塾は百道浜に移転存続し、南冥、昭陽、少?、雋永[しょうえい]等の漢詩、著書、書画掛軸などは博多湾能古島博物館の「亀陽文庫」に収集保管され、展示公開されています。亀井家五代の墓所は、福岡市中央区今川橋バス停前の浄満寺に「福岡県指定文化財」として保存されています。全国漢詩人皆様の秋の筑紫路吟行をお待ちしています。