(2005年01月01日)

〈広島県〉

日本の漢詩は
土屋竹雨で終わったといわれた後で
豊嶋 睦

 「日本の漢詩は土屋竹雨で終った」とは孫伯醇のいうところ。しかしその時、既に和歌山に高橋藍川師、広島に太刀掛呂山師があって、日本の詩壇に新しい光が射し始めていた

 さて、戦後の広島には、市内の比治山(臥虎山)南麓に、田森素斎先生の虎南吟社があったが、先生ご仙遊の後、太刀掛呂山師が推されて新生山陽吟社を開き主宰した。

 呂山師は、高校生でも作れる詩語表「だれにもできる漢詩の作り方」を公刊、また月刊詩誌「山陽風雅」を刊行して、広島に山陽吟社ありの名を全国に発信、念願の47都道府県凡てに会員を有する詩壇となった。

 今日、会員数減少の傾向にあるものの、なお全国42都道府県に会員を有し、毎月500前後の投稿誌を添削の上「風雅」誌に掲載、この10月で通巻598号となった。

 また広島吟詠界の雄、水真流吟詠会その他に講師を派遣して作詞を指導、試みに作品を集め「水真詩集」を刊行したところ、入会者が増え始めてわが吟社に曙光が見えてきた。

 かくて、明るさが戻り始めた本年5月、北海道から九州までの会員約100名の参列を得て創立50周年記念式典を開催できたことは大いなる慶びであった。

誌運挽回を希いつつ。