(2005年10月01日)

お薦めの一首④

世界へ向けて漢詩を詠む
――漢詩の世界的普及と展開に期待して

幹事  浅岡 清州

President Ch'ao of Nippon left the Imperial City
A strip of sail skirting its way round the magic islands of the East.
To his bright moon he never returned, he perished in the grey sea;
Tinged with sorrow are the glowing clouds that fill the Regions of the South.(注1)

 これが私のお薦めする一首です。
これは英詩であって、漢詩ではないとお思いでしょう。では次に、この英詩の和訳を掲げましょう。

 日本の晁卿は帝都を去り、細い一片の帆が東方の仙界の島々をめぐって進んだ。 彼の歌った明月に帰り着くこともなく、彼は灰色の海に滅んだ。 輝く雲が悲しみに染められて、南の地方を満たしている。(注2)

 もうお分かりでしょう。私のお薦めする一首は、李白の七言絶句「晁卿衡を哭す」です。上の英訳詩とその和訳は、A.ウエイリー著/小川環樹・栗山稔訳「李白」(岩波新書847、岩波書店、1973年刊から引用)

 では早速、その漢詩原文、書き下ろし文、通釈文を今度は、石川忠久著「漢詩をよむ李白100選」(NHKライブラリー93、日本放送協会、1998年刊)から引用しましょう。

    哭晁卿衡    晁卿衡を哭す 
日本晁卿辞帝都 日本の晁卿帝都を辞し
征帆一片遶蓬壷 征帆一片蓬壷を遶る
明月不帰沈碧海 明月帰らず碧海に沈み
白雲愁色満蒼梧 白雲愁色蒼梧に満つ

(通釈文)
 日本の晁どのは長安を去り、遠く旅立つ船に乗り、船の帆の小さなひとひらが蓬壷のような日本をめぐった。清らかな月のような晁どのは、青い海に沈んで帰らぬ人となった。白い雲が憂いを帯びて、蒼梧の海に広がっている。(注3)

 この詩は「晁卿衡」(晁どの)は、晁衡(または朝衡)のことで、わが国人の阿部仲麻呂の中国名です。遣唐使の随員として唐に渡り、開元5年(717年)に都長安に到着しました。以来、長安に留まって唐の王朝に仕え、玄宗の厚遇を受けました。左補闕などを経て秘書監となり、衛尉卿を兼ねたといわれます。(注4)

 李白のこの詩は、天宝12年(753年)洛陽から梁・宋(河南省東部)に帰ったときの作であるとされています。まさに、この年仲麻呂はときの遣唐使とともに帰国の途についたのです。

 ところが、海上で暴風雨に遭って難破し、安南(ベトナム)に漂着しました。仲麻呂は結局、長安へ戻って一生を終えたのですが、仲麻呂は死んだという噂が伝わって、李白の耳に入ったものとみられます。

 李白は仲麻呂が安南に漂着してふたたび唐王朝に仕えたことを最後まで知らなかったと思われます。(注5)

 ところで冒頭に掲げた英詩は、英国人のA.ウエイリー(Arthur David Waley,1889‐1966)という人が、その著書「THE POETRY AND CAREER OF LIPO」(注6)の中で英訳されたものです。ウエイリーはこの著書の中で李白の他の詩も多数英訳しています(注7)が、このことは漢詩が、いわゆる漢字文化圏以外の世界でも、十分受容され、理解され得ることを示しているといえるでしょう。つまり、漢詩が、広く世界に受け容れられ、普及する可能性をこの詩が明らかにしてくれていること、これが、この詩を私のお薦めの一首とする第一の理由です。

 しかし、このことだけでは、李白の他の詩でもよいことになります。そこで、お薦めの一首とする第二の、そして最も中心的な理由を次に挙げることとします。

 即ち、8世紀の初頭というかなり早い時期に遣唐使の随員という国家的エリートとはいえ、わが国人が中国に渡り、かの唐王朝で大いに活躍したという痛快事が、また李白がその人を一首の中で「明月」に喩え、加えてその人の死を「哭す」という表現をもって悼んだことが、この詩によって国際文化交流の歴史上にも、明確に記録されたと考えられるからです。

 仲麻呂は、李白にその名を知られていただけでなく、王維や儲光羲といった当時の多くの文人たちとも交際があったといわれ、その意味からも、この詩は、お薦めするに値する大きな背景をもった貴重な一首であるといってよいでしょう。

 さらにいえば、この一首は、現在、俳句・短歌を含めてわが国のさまざまな詩歌が、多くの外国語に翻訳され、世界中に発信されていることに鑑みると、漢詩についても、わが国で詠まれた漢詩が、近い将来、そのまま世界に向けてすぐれた詩を発表していくことにつながることを、強く期待させるものでもあります。

 仲麻呂が明州(浙江省寧波)の港から船で中国を去るにあたって詠んだとされ、李白をして仲麻呂を「明月」に喩えさせるもととなったといわれるあの有名な和歌(後に「小倉百人一首」に収められた)

天の原ふりさけ見れば春日なる
三笠の山にいでし月かも

を、Aウエイリーは、次のように英訳しています。

Across the fields of Heaven Casting my gaze I wonder Whether over the hills of Mikasa also, That is by Kasuga, The moon has risen.
(注9)

【注】

1: A.ウエイリー著/小川環樹・栗山稔著「李白」(岩波新書847、岩波書店1973年1月)232頁参照
2: 上掲書111頁参照
3: 石川忠久著「漢詩をよむ 李白 100選」(NHKライブラリー93日本放送協会1998年12月)187頁
4: 上掲書187~188頁
5: 上掲書188頁
6: 注1上掲書、扉裏
THE POETRY AND CAREER OF LIPO by Arthur Waley copyright 1950 by George Allen & Unwin Ltd.
This book is published in Japan by arrangement with George Allen & Unwin Ltd., London.
7: 注1上掲書、英訳詩、211頁~238頁
8: 上掲書109頁、注3上掲書189頁
9: 注1上掲書232頁