(2004年04月01日)

九月一五夜 菅原道眞作

全漢詩連副会長 愛媛・四国漢詩連盟会長  伊藤 竹外

  九月一五夜     菅原道眞 作

黄萎顔色白霜頭 黄萎[こうい]の顔色[がんしょく]
白霜[はくそう]の頭[こうべ]
况復千餘里外投 [いわ]んや復[ま]
千余里外に投[とう]ぜらるるをや
昔被榮華簪組縛 昔は栄華[えいが]
簪組[しんそ]に縛[ばく]せられ
今為貶謫草莱囚 今は貶謫[へんたく]
草莱[そうらい]の囚[しゅう]と為[な]
月光似鏡無明罪 月光は鏡に似たるも
罪を明らかにする無く
風氣如刀不断愁 風気[ふうき]は刀[かたな]の如[ごと]
なるも愁[うれい]を断[た]たず
隨見隨聞皆惨慄 見るに隨い聞くに隨い
[みな]惨慄[さんりつ]
此秋獨作我身秋 [こ]の秋[あき]
独り我が身の秋と作[な]

 中国より遣隋、遣唐使によって儒教、仏教と共に伝承した漢詩が、その後1200年の歴史の中でその尽く日本文化の根底となったことは、偉大なる先人の功績の積み重ねによるものと痛感する。

 当時の日本においてこれらを理解し応用し発展せしめたのは空海などの他、1100年前に菅原道眞公は難解な平仄はもとより律詩の作法をも乗り越えて多くの絶妙の詩篇を留めたことは、さすが文学の神様として今日あまねく崇敬せられる所以である。

 特に菅公が醍醐天皇の下で右大臣の要職にありながら、思いもよらず藤原時平らの讒言によって、九州太宰権帥に左遷せられ、都から千里離れた僻地の配所で、僅か2年後に没するまでに詠じた断腸の詩篇の中で「九月十日」「不出門」などと共に、一言も怨嗟の語を用いず誰にもよく解る切たる真情を托した右の律詩は吟詠を始めた60余年前から感動し、今尚これを吟じる毎にその詩情に徹した慟哭を思うのである。

 今年11月13日は、はからずも国民文化祭が開催される中で、全国漢詩大会が香川、群馬、鳥取を経て菅公の祀られている太宰府において行われることになっているが洵に意義深いものがある。

 我々、愛媛漢詩連盟の会員共々、その前日の吟行と併せ参加するべく、菅公の愛した梅花の時節ではないが、その遺蹟を探り往時を追憶し、その感慨を賦すべく予定を立て、大会委員長の有吉呂城先生には、昨年第17回愛媛漢詩大会に講師としてご来臨を頂いたときに已に約束している。

 更には全日本漢詩連盟創立後の全国大会だけに、その盛況を期待し、将来の漢詩文化の高揚を祈るところである。