(2005年01月01日)

年年歳歳花相似

全日本漢詩連盟 地区理事  広谷 高士

 洛陽城東桃李花 飛来飛去落誰家
   (中略)
◎年年歳歳花相似 歳歳年年人不同
 寄言全盛紅顔子 応燐半死白頭翁
   (後略)
 使看古来歌舞地 惟有黄昏鳥雀悲

 太平洋戦争が初まる前の年だったと思う。旧制の松江中学(島根県)2年生の時、母方の叔父の葬式があり、禅宗の寺では、引導の後講話があり、その時に僧が引用したのが、此の詩であった。妙に印象に残り、早速漢文の教師(東大出身の若い人)に教えを乞うた所、「唐詩選七言古詩」劉廷芝作「代悲白頭翁」の詩で、この様な悲しい詩より、先輩である駱賓王の「此地別燕丹 壯志髮衝冠 昔時人己没 今日水猶寒」や、唐詩選にはないが、荊軻の「風簫々兮易水寒 壯士一去兮不復還」を推奨してくれた。

 戦争が終り、旧制松山高校(愛媛県松山市)へ入学、中島千秋先生の「唐詩選」の講義を受けた。今度はじっくりと「白頭翁」26句を味わい、盧照鄰の「長安古意」や駱賓王の「帝京篇」等を教わる事となる。

 此の詩の同級生に村上哲見君が居り、彼は京大文学部へ行き、今や漢文界の知名人となった。小生は九大法学部へ入り、塵俗の世界に身をおく事となる。

 昭和55年頃より漸く人網を脱して、香川県の漢詩会の屋山[おくざん]吟社、天霧[あまぎり]吟社に入会、高校時代の教科書(昭和20年刊行の唐詩選でワラ半紙の粗末なもの)等を引っぱり出して讀んだり、漢詩なるものを作っていた。

 平成の時代となって、漢文教育学会の中国旅行(盧山、舟山列島、三峡、成都、洛陽、西安、大運河シルクロード)に参加して、石川忠久先生、田部井文雄先生、加藤道理先生、村山吉広先生の同行を戴いた。

 洛陽訪問の時、田部井先生より「唐才子伝」「宋之問集」の話、宋之問劉廷芝事件の詳細をきき、益々以って此の詩から離れられなくなって行った。

 父の死の時も、98才で去った母の時も、この詩を霊前に捧げ、打ち上げの席では、浄土宗の僧(龍谷大学卒)と共に、この絶妙なる対句のリズムを唱和したのであった。

 私にとってこの年々歳々 の句は、かくの如くに古く、なお新らしく生きているのである。