(2006年10月01日)

柏木如亭の「詩本草」

常務理事  中山 葦舟

 食べ物のことはあまり詩にしない方が良いと聞いたことがありますが、ごく最近、柏木如亭の「詩本草」が岩波文庫版ででましたので読みました。

 書名から推察されますように、この本では色々の食べ物の随筆に漢詩が添えてあります。口腹の書では清の袁枚の「随園食単」とフランスのブリヤ・サバランの「美味礼賛」に日本の書を加えるなら如亭の「詩本草」だという評判です。

 柏木如亭は、日夏耿之介が我が国のボードレールと呼んだという放浪詩人です。日本の漢詩集では「木母寺」が彼の作品としてよく取り上げられています。

 「詩本草」は影印本などが従来から出ていますが、今回の岩波文庫版は読み下し文、語訳、解説と、揖斐高氏の校注は詳細であり、よく理解できるので、美味礼賛の詩友に御一読をおすすめします。

 さて初めのほう、第四段、「酒茶と詩文」の一部を紹介しましょう。一部大意を書きますと、詩と文は酒と飯のようなものだ。飯は一日もなくてはならぬもので必要ならえり好みなどしておれぬ。

 ところが「酒を飲む、詩を作るは優游行楽の時」で一日もなくてはならぬというものではないから、「即ち人人分に依って精を揀[えら]まざることを得ず。但だ是れ人人酒を飲むは便ち精を揀むことを知るも、人人詩を作るは或は精を揀むことを知らず。

 何となれば、題意に求むることを知らずして、これを題面に求め、虚字に求むることを知らずしてこれを実字に求め、篇法に求むることを知らずしてこれを句法に求む。それ粗為[た]る所以なり」とあります。ここで「精」とは、最も優れたものとか、まじり気のないものという意味です。

 私としては、ずばり腹をえぐられる批評をされた気がします。揖斐さんによるとこの段は明代の随筆、「五雑組」の中の酒の記事を踏まえているそうです。

 如亭は酒は嗜むが強くはなかったようです。第二段「酒」「飲は天地間の第一韵事にして詩家欠くべからざるの政[まつりごと]なり、吾が飲、器を尽くすこと能はず。花時、雪天、若しくは山秀水麗の境に逢えば、乃ち一盃を把る。宴席殊に悪しからず。但だ彼の執盃持耳翁を怕[おそ]るるのみと。

 東海道を旅していた時、道傍の小店の使用人に与えたという詩が十六段「大刀魚」のとことにのっています。題をつければ「大刀魚」でしょう。

    大刀魚[たちうお]    
吶喊声銷天日麗 吶喊[とっかん] 声銷[き]えて
天日麗[うるは]
波濤海静太平初 波濤 海静かなり太平の初め
折刀百万沈沙去 折刀[せったう]百万 沙に沈み去り
一夜東風尽作魚 一夜東風
[ことごと]く魚と作[な]

 杜牧の〈赤壁〉と題する七絶を踏まえていることは明らかです。旅の途中の茶店で、意外の美味に満足して、すらすらと筆をとる作者の得意の姿が浮かんできます。先の大戦を経た私はふと、「折刀」「壮丁」に、「魚」「骸」にかえてみました。

 もう一首たけのこ(笋)の詩(第十一段)の詩を挙げましょう。

     冬至食笋
村居自有看山福 村居自[おの]づから山を看る福有り
又喜今朝嘗野珍 又た喜ぶ 今朝野珍を嘗[な]むるを
屋外霜蔭生犢角 屋外の霜蔭[さうゐん]
犢角[とくかく]を生ず
雪天不屑称時新 雪天 時新[じしん]と称するを
[いさぎよし]とせず

 この詩は刊行された如亭の詩集中にはないそうです。「時新」は季節のはしりの食品。「野珍」は野生の珍味。如亭は晩年、京都黒谷の廃寺に仮寓し、その居を「紫雲山居」と名づけていました。この詩も起句踏み落しです。内容は前半、後半を入れ替えてもわかるような詩だとおもいます。前半が好きです。「犢角」の比喩も注目されます。結句は詩句だけからはちょっとわかり難いとおもいます。

 この段、詩を最初にかかげて文が続きます。それによると、笋は「至新」が大事だ、早く掘って早く煮なければ甘香がなくなるというのです。時新でなく至新だというのです。雪天のなかを掘ってすぐ煮たものの味は、かついで春風の中を半日かかって町にきたものなどとは天と地の差があるというのです。

 標題については全漢連のホームページにもかきましたので、好きな詩は多いということで、如亭の本の紹介になりました。御寛容ください。