(2008年04月01日)

「鬼才」の深い憂愁

李賀「莫種樹」・袁枚「栽樹自嘲」
山形 道文

 八十の高齢にのぼって、唐の李賀(長吉)のこの詩が心を揺さぶります。

    莫種樹 
園中莫種樹 園中に樹を種うる莫れ
種樹四時愁 樹を種うれば四時愁う
獨睡南牀月 独り南牀の月に睡れば
今秋似去秋 今秋も去秋に似たり

 20歳にしてすでに心朽たりと嘆じた「鬼才」の深い憂愁に共感を覚えるからです。

 鈴木虎雄博士は、いかに「鬼才」の奇を逞しくしようが、聴者は幻惑されず、李白や杜甫の正々たる大道を忘れてならないと注意しています。

 李賀が27歳で「白玉楼中の人」となって千年ののち、清の袁(随園)は詠んだ。

   栽樹自嘲 
七十猶栽樹 七十なほ樹を栽うる
旁人莫笑癡 傍人癡を笑う莫れ
古来雖有死 古来死ありと雖えども
好在不先知 好在先知せず

 70歳になってまだ植樹するのかと、あなた、笑わないでください、昔からみんな死んでしまうが、良い具合に死の予知は誰にもできないのだからね。

 袁痰ヘ悠々81歳の生涯を南京郊外の小倉山山荘で「花を抱いて」送った。

 二つの詩は、どちらも身にしみてくる。