(2008年07月01日)

三蘇墳 ― 蘇轍を懐う

全漢詩連会長  石川 忠久

 今年の5月の連休に、いつものように詩友と共に中国の河南省を旅した。去年は河北省を旅し、北京から南下して最後は河南省の省都鄭州で〆くくったので、今年は鄭州から始め、開封、偃師[えんし]、鞏義[きょうぎ]、嵩陽[すうよう]、許昌などを経巡った。

 開封の宋都御街、龍亭、偃師の杜甫墓、首陽山、高山の少林寺、許昌の曹魏故城など、いろいろ見どころがあったが、一際[ひときわ]印象深かったのは、許昌郊外の地なる「三蘇墳」であった。北京の蘇洵[じゅん](老泉)・蘇軾[てつ](東坡)・蘇轍(潁浜[えいひん]の3人の墓である。

 父の洵、息子の軾(兄)と轍(弟)を葬ったその墓は、町外れの森の中にある。眞中に父、向って右に兄、左に弟の土盛りをした墓が並んでいる。

 父の洵は遠く故郷の蜀(四川省)の眉山県に葬ったので、墓中には遺骸は無く、いわゆる衣冠塚である。兄の東坡は江蘇省の常州で客死したのを、後年、弟の轍がこの地に移葬したものである。

 なぜこの地に墓を築いたのか、と言えば弟の轍が役人を辞めた後、この地に隠棲したからである。弟の轍が兄と共に進士の試験に及第したのは、わずかに19歳。3つ違いの兄の22歳もずいぶん早い及第なのに、それより更に若い。たいへんな秀才である。

 文章では、父と兄に伍して「唐宋八大家」の一に数えられ(唐の韓愈[かんゆ]・柳宗元、北宋の歐陽修・王安石・曽鞏[そうきょう]、詩も第一流と評される。しかし、兄東坡の存在が余りにも大きいため、陰[かげ]に隠れて損をした、と言えよう。

 蘇轍は晩年、この地に居を定め、父と兄と自分の墓を築いた。黄泉の地でも仲良く暮らしたいとの思いがあってのことだったろう。

    三蘇墳    岳堂
父子弟兄為比鄰 父子弟兄比鄰と為る
幽冥界裡似相親 幽冥界裡相い親しむに似たり
三蘇功業有終事 三蘇の功業有終の事
実頼長人老潁浜 実に長人老潁浜に頼[よ]

 前半は、父と子、兄と弟が冥土の世界でも隣同士仲良く暮らしているだろう、ということ。後半は、三蘇(老蘇・大蘇・小蘇という)の有終の美を全うしたのは、轍の力による、と。

 轍は背が高く、兄は弟を長人と呼んでいる。長人と言えば、その昔、孔子をそう呼んだので、ここでは背が高い上に徳が高い意味をこめた。