(2009年04月27日)

王漁洋の故居を訪ねる

全漢詩連会長  石川 忠久

 四月の末からの連休を利用して、中国の山東省を経廻って来た。

 青島[チンタオ]から入り、まず斉[せい]の都臨?[りんし]へ向かい、その北郊の桓台県なる王漁洋の故居を尋ねた。二十年前にこの地へ来た時は、日程の都合で観ることができなかった。念願を果たしたのである。

 王漁洋(1634〜1711)は名を士[ししん]という。清朝第一の詩人である。名の士モヘ後に雍正[ようせい](在位1722〜35)の名の胤モ避けて士禎[してい]と改められた。文学史では王士禎と記するものもある。漁洋は、その号。

 若くして進士に及第した漁洋は、「秋柳」詩を発表して一躍時代の寵児となった。その「秋柳」詩には全国から唱和する者が引きも切らなかったという。清新な表現によって風趣を漂わすその詩風は神韻説と呼ばれ一世を風靡した。

 王氏は歴代進士を輩出した名家で、進士及第者に与えられる牌坊[はいぼう](鳥居のようなもの)が七十二建っていたという。それも是非観たいと思ったが、今は一つしか残っていないと。

 臨?より車で四十五分、桓台県新城鎭に到着、王漁洋記念館を観、パトカーの先導で故居へ向かう。清末民国初のころ、塩商人の馮氏の宅となっていたが、今は全く無人の廃居になっている。門には鍵が掛っており、しかも錆びついている。「漁洋紅木家●(にんべんに私)(家倶)廠」の古びた看板が残されているところを見ると、一時工場にもなっていたらしい。

 余り広くない敷地に、幾棟もの家屋と小さな中庭。家屋は荒れるに任せ、庭は草茫々、とにかく荒廃極まる惨状だ。案内人の話に、最近修復が決定したとのことだが、どのようになるやら。

 庭に残る海棠の老樹と野バラが印象的であった。

   王漁洋故居
海棠花謝草萋萋 海棠花謝[お]ちて草萋々
此地詩人曽所栖 此の地詩人の曽て栖む所
神韻高論何処問 神韻の高論何れの処にか問はん
廢庭春去鳥空啼 廢庭春去って鳥空しく啼く

 このあと鳥居を観に行ったが、画磚(装飾を施したレンガ)造りで構えも大きく実に立派なものである。漁洋の高祖父(祖父の祖父)の功を賛えた記念碑とのことだった。