(2009年11月15日)

雪村友梅のこと

全漢詩連会長  石川 忠久

 雪村友梅(1290〜1346)は、鎌倉時代末期の詩僧である。18歳から40歳まで、当時の元[げん]に入り、数奇な運命にもてあそばれ、中国各地を経廻った。蜀(四川省)の地に入った最初の日本人、として知られる。

 友梅は越後白鳥[しらとり](新潟県長岡市北西)の人。12、3歳の頃、鎌倉へ出、当時建長寺と円覚寺の住持を兼ねていた一山一寧(浙江省の人)の侍童となった。両寺では日本語の使用は禁じられていたので、ここで中国語をたたきこまれ、後に中国で活躍する基礎を作った。比叡山で得度し、京都建仁寺で修行、18歳の時、中国の湖州(浙江省)へ渡ったのである。

 ところが、入元三年目、友梅はスパイ容疑を受けて捕えられ投獄、四年の後、死刑の判決によりいよいよ処刑という時、友梅は大音声で無学祖元(寧波の人、1226〜1286)の偈[げ]を唱えた。その偈は曽て蒙古軍が襲来した時、捕まって首を斬られる寸前に唱え、そのため蒙古兵は首を斬るのを止め、拝礼して去ったというもの。

    示 虜虜に示す   無学祖元

乾坤無地卓孤? 乾坤地の孤?を卓[た]つる無し
喜得人空法亦空 喜び得たり人空[くう]法も亦空
珍重大元三尺剣 珍重す大元三尺の剣
電光影裏斬春風 電光影裏春風を斬る

 (この天地には一本の杖を立てる所もない。喜しいことに人はもと空、仏法も空じゃ。元の三尺の剣を珍重する〈有難いこと〉、稲妻の光の中に春風を斬るようなもの、斬れるものなら斬って見よ)

 今度も元の官憲はこの偈に気押されて処刑を止め、友梅は助かった。何とも不思議な話だ。ついでながら、無学祖元はその後鎌倉幕府の招きに応じて渡日し、円覚寺の開山となった。

 処刑を免れた友梅は長安(西安)に護送され、当地で幽閉となった。時に24歳。長安に三年いるうち、近郊を遊覧する自由はあったらしく、唐の王維の山荘などにも訪れている。そうして、蜀へ追放の処分を受けたのである。蜀には十年いて、長篇の力作「岷山[みんざん]歌」を作っている。

 在蜀十年、高僧の評判高まり、赦されて湖州へ戻った。朝廷から宝覚真空禅師の諡号を賜っている。40歳にして日本へ帰ってからは鎌倉、京都など処々の寺に招かれ、57歳で示寂した。今日『岷山集』に二百首余りの詩が伝わる。