(2004年04月01日)

私と漢詩とのお付き合い

全日本漢詩連盟会長  石川 忠久

「漢詩と私」

 私が漢詩の道に引かれたのには、三つぐらいの理由が考えられる。

 一つは、母方の祖父の影響である。小学生の頃、一時祖父の家に同居していたが、退役軍人であった祖父は、伯堂と号し、毎日のように書斎で字や絵(水墨画)を書いて楽しんでいた。

 書き終ると祖父は、「どうだ」と孫の私をふり返り、ニッコリする。

 今、その作品を見るとお世辞にも上手とは言えないが、本人は、“自画自讃”して得意だった。

 それを見て、子ども心に、「いいなあ」と思ったことと、書斎に染みついた墨の匂いとは、今も記憶に鮮明である。後に、漢詩を作るようになってからは、祖父は時々批評してくれた。

 二つめは、漠然としているのだが、その後、旧満州(中国東北部)へ移り、日本とは全く異なる中国大陸の広大な風土に触れたこと。「赤い夕日の満州に」という歌の文句じゃないが、地平線に赤々と沈む太陽を飽かず眺めたものだ。

 いつの間にかその風土の“気”が身に染み入ったらしい。大学で中文科に進んだ時、私と同じような“満州帰り”“中国帰り”が結構いた。

 三つめは、東京へ帰って来て編入した中学が漢文の強い学校だったこと。

 硬軟とりまぜた?名物教師が居られて、学習意欲を刺激した。訥々として説く地味な先生にも牽かれたが、八方破れの、自称“大先生”には大いに影響を受けた。今日「十八史略」をやると思えば、明日は「唐詩選」という具合に、クルクル変わる。漢文好きの生徒にはそれが面白くて、好奇心がそそられた。

 漢文好きが嵩じて、漢詩が作りたくなり、出たらめの詩を、その先生に見せたところ、「どうせやるなら、ちゃんとやれ」ということで、偉い老先生の門に入れていただいた。

 その老先生のお宅に日曜日ごとに通って、一から手ほどきを受けたのが、私の漢詩への道の出発点であった。